平成万葉歌仙(五)「挽歌・志(こころざし)」の巻 [平成万葉歌仙]
平成万葉歌仙(五)「挽歌・志(こころざし)」の巻
起首 平成二十年四月二十七日
満尾 平成二十年五 月十六日
岩代の浜松が枝を引き結び
ま幸くあらばまたかへり見む(巻2巻頭ー141)
発句 志松の新芽に見たりけり 宣 春
脇 解き放れゆく黄蝶白蝶 不 春
第三 山の辺の馬酔木手折れば匂いきて 宣 春
四 古代のロマン軍馬嘶く 不 雑
五 隠れても夜渡る月は我が命 宣 秋月
六 狂躁のまま跳人参上 不 秋
ウ
一 秋山のあはれ黄葉に待ち兼ぬる 宣 秋恋
二 妹の元へと天使の翼 不 恋
三 独り寝の下紐解ける草枕 宣 恋
四 愛しのひとの小舟見送る 不 恋
五 追い行きて道の隅廻(くまみ)に標(しめ)結わん 宣 恋
六 流れ逝く果てドゥイノ挽歌 不 雑
七 不如帰亡魂連れて啼き渡る 宣 夏
八 リルケ・人麻呂夏月燦燦 不 夏月
九 天使より霊験あらたか日本の神 宣 雑
十 海神(ネプチューン)の声法螺貝の音 不 雑
十一 惜しまれる故に花散る下心 宣 春花
十二 風光るなか吉野川見ゆ 不 春
ナオ
一 万葉の阿保山何処遠霞 不 春
二 春菜摘む野の果ての千重波 宣 雑
三 ギター手に流離い人がやってくる 不 雑
四 失語症なる竹取翁 宣 雑
五 白鳥の化身の如く天女舞う 不 冬
六 庭もほどろに降りし沫雪 宣 冬
七 奈良山の君の面影何時までも 不 恋
八 恋舟を引く恋弓を引く 宣 恋
九 ちらり見ゆ紅の深染め艶やかに 不 恋
十 黒馬に乗りうらぶれて去る 宣 恋
十一 月桂樹月読み男隠しけり 不 秋月
十二 琴弾き時雨仏前の唄 宣 秋
ナウ
一 小牡鹿はトトロの森に失せて行く 不 秋
二 燃ゆる荒野のヌーボーロマン 宣 雑
三 口ずさむせむすべ知らぬセレナーデ 不 雑
四 腸(はらわた)凍る後期高齢 宣 雑
五 花咲けばこの束の間のひとときを 不 春花
挙句 雁帰る日の空の陽炎(かぎろひ) 宣 春
(留書き)
「挽歌」とは、柩を挽く時の哀しみの歌。これをテーマとして巻頭に挿頭せば、哀韻という呪縛に
縛られるのではないか。そんな危惧もあったが、ほどよく扱い、怨霊にも取り憑かれずに済んだか
と思う。開巻しばらくして、やおらリルケの「ドゥイノ悲歌」なども主調音として流され、エキゾチ
シズムが万葉オンリーになるところに異風・新風を送ってくれた。「句兄弟」という得がたい作句
手引き書も解説していただいた。十分活用できなかったので申し訳ない。
これで「平成万葉歌仙」は早くも5巻にもなったのかと、いささか感慨深い。途中飛び入りで
「(バーチャル連句)芭蕉・宗鑑両吟」なるものを並行して始めることになった。送信において混
線する場合もあったが、相乗効果の方があり、よかったのかもしれない。とにかく、この巻もな
んとか巻き終え、今更ながら不遜(晴生)氏との出会いは神がかり的であったかと思わざるをえな
い。(宣長)
かって、釧路の無名作家であった原田康子さんの『挽歌』という題のものに接して、それ以来、
「挽歌」というものには、何かしら郷愁のようなものを引きずってきた。そのタイトルの語源の
由来とも思われる、万葉集の「挽歌」を集中的に触れられたのは収穫であった。この万葉集の
「挽歌」においても、柿本人麻呂がその中心に位置するのであろう。この人麻呂に匹敵する西洋
の詩人として、時代史的にも内容的にも異質であるが、リルケの「「ドゥイノ城哀歌」・「形象詩集」
などをバックミュージックにて試行したが、日本の詩歌の原点の「万葉集」には、それに連なる
日本の詩人群のものの方が、あたり前のことであるが、宥和するということも実感した。其角の
『句兄弟』の、夜半亭俳諧に随所に見られる、「反転の法」(漢詩の「円機活法」がその基礎に
あるか)は、余り注目する人を見かけないが、やはり、一つの「レトリック」の技法として、
俳諧(連句)においては、もう少し関心を持っても良いのではなかろかと、漠然ではあるが、
そんな思いもしている。
(讃岐たより)
ナウ五 花咲けばこの束の間のひとときを 不 春花
六 雁帰る日の空の陽炎(かぎろひ) 宣 春
(付記)
『万葉集』巻19 帰る雁を見る歌二首
燕来る時になりぬと雁がねは本郷(くに)偲ひつつ雲隠り鳴く(4144)
春設(ま)けてかく帰るとも秋風に黄葉たむ山を越え来ざらめや (4145)
(下野たより)
「挽歌」の巻も終わりましたね。一息入れて、「平成万葉歌仙」の六番目の、「本歌」と「発句」
ご提示頂ければ有難い。先に、「十百韻」(一千句)に関連してのメールをいたしましたが、
「三十六歌仙」に因んで、目標は、「三十六」というのが、できれば目標にしたいですね。
(一寸、大きい感じですが、目標は遠大の方がということで。途中、休みなどを入れて。)
何かありますれば、メールなど願います。
起首 平成二十年四月二十七日
満尾 平成二十年五 月十六日
岩代の浜松が枝を引き結び
ま幸くあらばまたかへり見む(巻2巻頭ー141)
発句 志松の新芽に見たりけり 宣 春
脇 解き放れゆく黄蝶白蝶 不 春
第三 山の辺の馬酔木手折れば匂いきて 宣 春
四 古代のロマン軍馬嘶く 不 雑
五 隠れても夜渡る月は我が命 宣 秋月
六 狂躁のまま跳人参上 不 秋
ウ
一 秋山のあはれ黄葉に待ち兼ぬる 宣 秋恋
二 妹の元へと天使の翼 不 恋
三 独り寝の下紐解ける草枕 宣 恋
四 愛しのひとの小舟見送る 不 恋
五 追い行きて道の隅廻(くまみ)に標(しめ)結わん 宣 恋
六 流れ逝く果てドゥイノ挽歌 不 雑
七 不如帰亡魂連れて啼き渡る 宣 夏
八 リルケ・人麻呂夏月燦燦 不 夏月
九 天使より霊験あらたか日本の神 宣 雑
十 海神(ネプチューン)の声法螺貝の音 不 雑
十一 惜しまれる故に花散る下心 宣 春花
十二 風光るなか吉野川見ゆ 不 春
ナオ
一 万葉の阿保山何処遠霞 不 春
二 春菜摘む野の果ての千重波 宣 雑
三 ギター手に流離い人がやってくる 不 雑
四 失語症なる竹取翁 宣 雑
五 白鳥の化身の如く天女舞う 不 冬
六 庭もほどろに降りし沫雪 宣 冬
七 奈良山の君の面影何時までも 不 恋
八 恋舟を引く恋弓を引く 宣 恋
九 ちらり見ゆ紅の深染め艶やかに 不 恋
十 黒馬に乗りうらぶれて去る 宣 恋
十一 月桂樹月読み男隠しけり 不 秋月
十二 琴弾き時雨仏前の唄 宣 秋
ナウ
一 小牡鹿はトトロの森に失せて行く 不 秋
二 燃ゆる荒野のヌーボーロマン 宣 雑
三 口ずさむせむすべ知らぬセレナーデ 不 雑
四 腸(はらわた)凍る後期高齢 宣 雑
五 花咲けばこの束の間のひとときを 不 春花
挙句 雁帰る日の空の陽炎(かぎろひ) 宣 春
(留書き)
「挽歌」とは、柩を挽く時の哀しみの歌。これをテーマとして巻頭に挿頭せば、哀韻という呪縛に
縛られるのではないか。そんな危惧もあったが、ほどよく扱い、怨霊にも取り憑かれずに済んだか
と思う。開巻しばらくして、やおらリルケの「ドゥイノ悲歌」なども主調音として流され、エキゾチ
シズムが万葉オンリーになるところに異風・新風を送ってくれた。「句兄弟」という得がたい作句
手引き書も解説していただいた。十分活用できなかったので申し訳ない。
これで「平成万葉歌仙」は早くも5巻にもなったのかと、いささか感慨深い。途中飛び入りで
「(バーチャル連句)芭蕉・宗鑑両吟」なるものを並行して始めることになった。送信において混
線する場合もあったが、相乗効果の方があり、よかったのかもしれない。とにかく、この巻もな
んとか巻き終え、今更ながら不遜(晴生)氏との出会いは神がかり的であったかと思わざるをえな
い。(宣長)
かって、釧路の無名作家であった原田康子さんの『挽歌』という題のものに接して、それ以来、
「挽歌」というものには、何かしら郷愁のようなものを引きずってきた。そのタイトルの語源の
由来とも思われる、万葉集の「挽歌」を集中的に触れられたのは収穫であった。この万葉集の
「挽歌」においても、柿本人麻呂がその中心に位置するのであろう。この人麻呂に匹敵する西洋
の詩人として、時代史的にも内容的にも異質であるが、リルケの「「ドゥイノ城哀歌」・「形象詩集」
などをバックミュージックにて試行したが、日本の詩歌の原点の「万葉集」には、それに連なる
日本の詩人群のものの方が、あたり前のことであるが、宥和するということも実感した。其角の
『句兄弟』の、夜半亭俳諧に随所に見られる、「反転の法」(漢詩の「円機活法」がその基礎に
あるか)は、余り注目する人を見かけないが、やはり、一つの「レトリック」の技法として、
俳諧(連句)においては、もう少し関心を持っても良いのではなかろかと、漠然ではあるが、
そんな思いもしている。
(讃岐たより)
ナウ五 花咲けばこの束の間のひとときを 不 春花
六 雁帰る日の空の陽炎(かぎろひ) 宣 春
(付記)
『万葉集』巻19 帰る雁を見る歌二首
燕来る時になりぬと雁がねは本郷(くに)偲ひつつ雲隠り鳴く(4144)
春設(ま)けてかく帰るとも秋風に黄葉たむ山を越え来ざらめや (4145)
(下野たより)
「挽歌」の巻も終わりましたね。一息入れて、「平成万葉歌仙」の六番目の、「本歌」と「発句」
ご提示頂ければ有難い。先に、「十百韻」(一千句)に関連してのメールをいたしましたが、
「三十六歌仙」に因んで、目標は、「三十六」というのが、できれば目標にしたいですね。
(一寸、大きい感じですが、目標は遠大の方がということで。途中、休みなどを入れて。)
何かありますれば、メールなど願います。
平成万葉歌仙(四)「東歌・利根川の」の巻 [平成万葉歌仙]
平成万葉歌仙(四)「東歌・利根川の」の巻
起首 平成二十年四月 九日
満尾 平成二十年四月二十五日
利根川の川瀬も知らずただ渡り
波に逢ふのす逢へる君かも(巻十四・三四一三)
発句 さくらちるわがなげきをば瀬は知るや 不 春
脇 春まだ寒きあづま国原 宣 春
第三 雉(きぎし)鳴く鎮守の杜を急ぐらん 不 春
四 疾駆の駒のひずめの高音 宣 雑
五 笹葉濡れ有明月もほの白み 不 秋月
六 実り占う相撲(すまい)出で立ち 宣 秋
ウ
一 夕闇の猪おどし鳴る入間道 不 秋
二 布曝す児の十重に愛しき 宣 恋
三 紐を解く彼面此面(をてもこのも)に目を凝らし 不 恋
四 常世より来しまれびとの鈴 宣 雑
五 フランスへ青雲の士の勇み立つ 不 雑
六 禁断の書はポケット深く 宣 雑
七 窓際のみどりつめたし不如帰 不 夏
八 筑波裾野の田毎新月 宣 夏 月
九 殿若子虫にさされて落涙す 不 雑
十 見捨てられ鳴く大嘘烏 宣 雑
十一 鎌倉の見越の崎の花吹雪 不 春 花
十二 茎立(くくたち)を折る手つきしなやか 宣 春
ナオ
一 青麦を無心に食む故駒追わず 宣 春
二 ぱくと金魚家の児もぱくと 不 夏
三 束の間の主の留守の三尺寝 宣 夏
四 三毳の山のくちづけかたく 不 恋
五 離れても恋の蔓草途切れざる 宣 恋
六 草木よそよげ乙女よそよげ 不 恋
七 冴え冴えと下界いたわる寒の月 宣 冬 月
八 水底氷魚の嘆き知らずや 不 冬
九 母刀自を玉に巻き持ち出で行くに 宣 雑
十 かの麗日の光はみちて 不 春
十一 鶯は青柳の枝くわえ鳴く 宣 春
十二 伐れば生えすれ芽立ちの深山 不 春
ナウ
一 都への春の便りをいかにせむ 宣 春
二 時されば見よ嗚呼広瀬川 不 雑
三 武蔵野の空の果てより茜射す 宣 雑
四 歩廊に立てば懐かしき丘 不 雑
五 父母に捧げるはずの花吹雪 宣 春 花
挙句 関八州の風炎激し 不 春
(留め書き)
不遜こと晴生氏の名捌によって、本巻も4月中に巻き終えることができました。本格的連句作法を継続的に情報提供いただきながら、実作に投影することもできず、不甲斐なく思われたことでしょう。それにしても、萩原朔太郎の詩を毎回のように送っていただき、東歌の詠まれた東国は前橋の、偉才の詩編には堪能しました。郷愁の詩人蕪村に始まり、万葉は東歌と朔太郎のミスマッチがかえって連句の意外性に効をもたらしたかもしれません。私のために万葉寄りで進めて下さってありがたく、今しばらく甘えさせていただきましょうか。 (宣)
今回は、萩原朔太郎の「純情小曲集」の詩編をバックミュージックのようなかたちで、歌仙の流れのメモ
に付してみた。ともすると、煌びやかな万葉古詞章にまみれて、古色蒼然の世界にどっぷりと浸ってしま
うような趣でなくもなかったが、それを幾分和らげるメリットはあったのかも知れない。この歌仙を巻きながら、「朔太郎が、連句を巻くとしたら、どんなものが巻上がる」のかとか、「朔太郎と犀星との両吟
ものがあったら、これは見ものだった」とか、そんなことを思ったりしていた。また、万葉集の東歌に関連しては、「歌とか俳句とかの短詩型の世界に作者の名は必要なものなのかどうか」なども考えさせられた。何方さんが言い出した言葉なのか定かではないが、「法の下の平等」をもじって、「和歌の下の平等」ということも耳にすることがあるが、まさに、「万葉集をいだくわがくにうるわし」という、一種の
「あいこくしん」も感じるのであった。「あいこくしん」とやらの涵養に躍起になっている方々には、
もっと、「万葉集」の学習などが必要なのではなかろうか? 「春風馬鹿談」調が出てきたところで、こ
れが、今回の備忘録など。(不)
起首 平成二十年四月 九日
満尾 平成二十年四月二十五日
利根川の川瀬も知らずただ渡り
波に逢ふのす逢へる君かも(巻十四・三四一三)
発句 さくらちるわがなげきをば瀬は知るや 不 春
脇 春まだ寒きあづま国原 宣 春
第三 雉(きぎし)鳴く鎮守の杜を急ぐらん 不 春
四 疾駆の駒のひずめの高音 宣 雑
五 笹葉濡れ有明月もほの白み 不 秋月
六 実り占う相撲(すまい)出で立ち 宣 秋
ウ
一 夕闇の猪おどし鳴る入間道 不 秋
二 布曝す児の十重に愛しき 宣 恋
三 紐を解く彼面此面(をてもこのも)に目を凝らし 不 恋
四 常世より来しまれびとの鈴 宣 雑
五 フランスへ青雲の士の勇み立つ 不 雑
六 禁断の書はポケット深く 宣 雑
七 窓際のみどりつめたし不如帰 不 夏
八 筑波裾野の田毎新月 宣 夏 月
九 殿若子虫にさされて落涙す 不 雑
十 見捨てられ鳴く大嘘烏 宣 雑
十一 鎌倉の見越の崎の花吹雪 不 春 花
十二 茎立(くくたち)を折る手つきしなやか 宣 春
ナオ
一 青麦を無心に食む故駒追わず 宣 春
二 ぱくと金魚家の児もぱくと 不 夏
三 束の間の主の留守の三尺寝 宣 夏
四 三毳の山のくちづけかたく 不 恋
五 離れても恋の蔓草途切れざる 宣 恋
六 草木よそよげ乙女よそよげ 不 恋
七 冴え冴えと下界いたわる寒の月 宣 冬 月
八 水底氷魚の嘆き知らずや 不 冬
九 母刀自を玉に巻き持ち出で行くに 宣 雑
十 かの麗日の光はみちて 不 春
十一 鶯は青柳の枝くわえ鳴く 宣 春
十二 伐れば生えすれ芽立ちの深山 不 春
ナウ
一 都への春の便りをいかにせむ 宣 春
二 時されば見よ嗚呼広瀬川 不 雑
三 武蔵野の空の果てより茜射す 宣 雑
四 歩廊に立てば懐かしき丘 不 雑
五 父母に捧げるはずの花吹雪 宣 春 花
挙句 関八州の風炎激し 不 春
(留め書き)
不遜こと晴生氏の名捌によって、本巻も4月中に巻き終えることができました。本格的連句作法を継続的に情報提供いただきながら、実作に投影することもできず、不甲斐なく思われたことでしょう。それにしても、萩原朔太郎の詩を毎回のように送っていただき、東歌の詠まれた東国は前橋の、偉才の詩編には堪能しました。郷愁の詩人蕪村に始まり、万葉は東歌と朔太郎のミスマッチがかえって連句の意外性に効をもたらしたかもしれません。私のために万葉寄りで進めて下さってありがたく、今しばらく甘えさせていただきましょうか。 (宣)
今回は、萩原朔太郎の「純情小曲集」の詩編をバックミュージックのようなかたちで、歌仙の流れのメモ
に付してみた。ともすると、煌びやかな万葉古詞章にまみれて、古色蒼然の世界にどっぷりと浸ってしま
うような趣でなくもなかったが、それを幾分和らげるメリットはあったのかも知れない。この歌仙を巻きながら、「朔太郎が、連句を巻くとしたら、どんなものが巻上がる」のかとか、「朔太郎と犀星との両吟
ものがあったら、これは見ものだった」とか、そんなことを思ったりしていた。また、万葉集の東歌に関連しては、「歌とか俳句とかの短詩型の世界に作者の名は必要なものなのかどうか」なども考えさせられた。何方さんが言い出した言葉なのか定かではないが、「法の下の平等」をもじって、「和歌の下の平等」ということも耳にすることがあるが、まさに、「万葉集をいだくわがくにうるわし」という、一種の
「あいこくしん」も感じるのであった。「あいこくしん」とやらの涵養に躍起になっている方々には、
もっと、「万葉集」の学習などが必要なのではなかろうか? 「春風馬鹿談」調が出てきたところで、こ
れが、今回の備忘録など。(不)
平成万葉歌仙(三)「柿本人麻呂・東(ひむがし)の」の巻 [平成万葉歌仙]
平成万葉歌仙(三)「柿本人麻呂・東(ひむがし)の」の巻
起首 平成二十年三月二十二日
満尾 平成二十年四月八日(花祭の日)
東(ひむがし)の野にかぎろひの立つ見えて
かへり見すれば月かたぶきぬ 人麻呂
発句 菜の花や月は東に日は西に 蕪村 春 月
脇 蕪村奉ずる人丸祭 不遜 春
第三 ふるさとの霞の袖に包まれて 宣長 春
四 心靡きしいも寝(ぬ)らめやも 不 雑
五 天の川夜舟を漕いで疲れたり 宣 秋
六 秋の瀬戸内鯨も見えず 不 秋
ウ
一 玉藻よし讃岐の国の千草満つ 不 秋
二 月に向かいて石見の神楽 宣 秋 月
三 ひたすらに磐根し枕(ま)ける妹を待つ 不 雑 恋
四 相生の松波に洗われ 宣 雑 恋
五 衣ずれのさゐさゐしづみ啜り泣く 不 雑 恋
六 駒に鞭打ち妻問う千夜 宣 雑 恋
七 笹の葉は別れ来ぬればうちそよぎ 不 雑 恋
八 冬の温もり天離る夷 宣 冬
九 遙かなるやたのの野辺は雪激し 不 冬
十 大宮人といささかの距離 宣 雑
十一 吉野来て花かざし持ちふらふらと 不 春 花
十二 社の池を渡る春風 宣 春
ナオ
一 山門の甘酒温し草萌ゆる 宣 春
二 明日香の川の上つ瀬麗らら 不 春
三 とこしえに生きる命を授かりて 宣 雑
四 近江へ急ぐ舟待ちかねつ 不 雑
五 木枯らしに駅鈴響く峠道 宣 冬
六 藪橘の茶店の主 不 冬
七 女菩薩の伏目すずしく見つめらる 宣 雑 恋
八 炎(かぎろひ)のごと黒髪のひと 不 雑 恋
九 贅極め歌垣果てし春日野に 宣 雑 恋
十 隠りにしかばうらさび行けり 不 雑 恋
十一 桂月の我が羅(うすもの)を照らす宵 宣 秋 月
十二 心もしのに栗(マロン)グラッセ 不 秋
ナウ
一 山陰に干し柿吊るし村平和 宣 秋
二 黄葉〈もみちば〉散るよガソリンスタンド 不 秋
三 幣手向く手筈狂いて宙に舞う 宣 雑
四 朝戸出てゆくしがない亭主 不 雑
五 まろうどの琴弾き澄ます花の宴 宣 春花
挙句 春風馬鹿談歌聖よ許せ 不 春
(留め書き)
平成万葉歌仙は(一)大伴家持(二)山上憶良(三)柿本人麻呂と相次いで3巻を巻き終えることができました。万葉を代表する歌人として旅人・赤人などが残っているかもしれませんが、この三者をはずして万葉は語れないかと思います。世の中では、かつて連句に詠み込まれたこともあるでしょうが、寡聞にして存じ上げておりません。錦のつれづれといったところで、全くの創作ではなく、継ぎはぎだらけではありますが、複層的価値はあるかと自負しております。なにより、くねくねと人麻呂連想ゲームを愉しめたのは、作者だけでしょうか。人様に楽しんでもらえないのが、連句衰退の理由かもしれません。
それはともかく、昨年よりふとした機縁により不遜(晴生)氏との知遇により、連句世界に導かれ、自由に泳がされております。時に泳法を示唆してくれますが、詩情大切ということで羽目をはずさせてもらっています。そして、プラスアルファの教養が情報としてころがりこんできました。読者の皆さんは、この方に益することが多かったのではないでしょうか。
また、諧謔ユーモアを織り込みながらも、鋭い批判の視座を底に湛えた発言も小気味いいものがあります。とにかく、本日4月8日「花祭」の佳き日に満尾を迎えられたことに、合掌です。(宣長)
留め書き)
歌聖・柿本人麻呂さんには、これまでにもその出会いのチャンスはあったが、「巨人・大鵬・卵焼き」
嫌いで、何時も自らチャンスを逃していた。よもや、こういう形で人麻呂さんにお会いするとは思わ
なかった。お会いをしたら、ムズムズと悪戯心が湧き起こり、蕪村の「春風馬堤曲」に倣い「春風
馬鹿談」とは、それを挙句に奉り、その一つをここに留めておきたい。(不遜)
(春風馬鹿談)
芭蕉さんは、「自分のやっていることは、夏炉冬扇で、晴れの場には役立たず」と、その無用のもの
に、その生涯をかけてしまった。われらの親父らと同年輩の、石川啄木さんは、「歌は私の悲しい玩
具(おもちゃ)である」と告白している。その啄木と同時代の富山の歌人、筏井嘉一さんは、「苦しん
で歌かいてそれが何になるなんにもならぬものもありてよき」と、その心情を素直に吐露している。
それに引き換え、われらの歌聖・柿本人麻呂の、その歌は、かの中国の、「文章は経国の大業、不朽
の盛事なり」と、そんな趣でなくもない。どうも、芭蕉さんの影響を多く受けてしまった因果か、も
う残り少ない人生、これまでもそうであったと同じように、開き直って、「夏炉冬扇」の道を邁進す
るほかは術がない。(「馬鹿談」にはしては、一寸湿っぽいネ)。(不遜)
(追記)
今回、人麻呂の長歌などに触れて、何故か、これまで一番寄り道していた、江戸の享保時代の与謝
蕪村のことなどを思い出していた。蕪村の知人の上田無腸(秋成)は、蕪村が亡くなったとき、
「かな書(がき)の詩人西せり東風(こち)吹いて」の追悼句を捧げたが、この「かな書(がき)
の詩人」の元祖は、すなわち、「やまとうた」の元祖は、柿本人麻呂その人だったのだという思い
を深くしている。(謎の人・蕪村は謎のひと・人麻呂をどの程度知っていたのか、どうも謎は謎を
生む)。(不遜)
起首 平成二十年三月二十二日
満尾 平成二十年四月八日(花祭の日)
東(ひむがし)の野にかぎろひの立つ見えて
かへり見すれば月かたぶきぬ 人麻呂
発句 菜の花や月は東に日は西に 蕪村 春 月
脇 蕪村奉ずる人丸祭 不遜 春
第三 ふるさとの霞の袖に包まれて 宣長 春
四 心靡きしいも寝(ぬ)らめやも 不 雑
五 天の川夜舟を漕いで疲れたり 宣 秋
六 秋の瀬戸内鯨も見えず 不 秋
ウ
一 玉藻よし讃岐の国の千草満つ 不 秋
二 月に向かいて石見の神楽 宣 秋 月
三 ひたすらに磐根し枕(ま)ける妹を待つ 不 雑 恋
四 相生の松波に洗われ 宣 雑 恋
五 衣ずれのさゐさゐしづみ啜り泣く 不 雑 恋
六 駒に鞭打ち妻問う千夜 宣 雑 恋
七 笹の葉は別れ来ぬればうちそよぎ 不 雑 恋
八 冬の温もり天離る夷 宣 冬
九 遙かなるやたのの野辺は雪激し 不 冬
十 大宮人といささかの距離 宣 雑
十一 吉野来て花かざし持ちふらふらと 不 春 花
十二 社の池を渡る春風 宣 春
ナオ
一 山門の甘酒温し草萌ゆる 宣 春
二 明日香の川の上つ瀬麗らら 不 春
三 とこしえに生きる命を授かりて 宣 雑
四 近江へ急ぐ舟待ちかねつ 不 雑
五 木枯らしに駅鈴響く峠道 宣 冬
六 藪橘の茶店の主 不 冬
七 女菩薩の伏目すずしく見つめらる 宣 雑 恋
八 炎(かぎろひ)のごと黒髪のひと 不 雑 恋
九 贅極め歌垣果てし春日野に 宣 雑 恋
十 隠りにしかばうらさび行けり 不 雑 恋
十一 桂月の我が羅(うすもの)を照らす宵 宣 秋 月
十二 心もしのに栗(マロン)グラッセ 不 秋
ナウ
一 山陰に干し柿吊るし村平和 宣 秋
二 黄葉〈もみちば〉散るよガソリンスタンド 不 秋
三 幣手向く手筈狂いて宙に舞う 宣 雑
四 朝戸出てゆくしがない亭主 不 雑
五 まろうどの琴弾き澄ます花の宴 宣 春花
挙句 春風馬鹿談歌聖よ許せ 不 春
(留め書き)
平成万葉歌仙は(一)大伴家持(二)山上憶良(三)柿本人麻呂と相次いで3巻を巻き終えることができました。万葉を代表する歌人として旅人・赤人などが残っているかもしれませんが、この三者をはずして万葉は語れないかと思います。世の中では、かつて連句に詠み込まれたこともあるでしょうが、寡聞にして存じ上げておりません。錦のつれづれといったところで、全くの創作ではなく、継ぎはぎだらけではありますが、複層的価値はあるかと自負しております。なにより、くねくねと人麻呂連想ゲームを愉しめたのは、作者だけでしょうか。人様に楽しんでもらえないのが、連句衰退の理由かもしれません。
それはともかく、昨年よりふとした機縁により不遜(晴生)氏との知遇により、連句世界に導かれ、自由に泳がされております。時に泳法を示唆してくれますが、詩情大切ということで羽目をはずさせてもらっています。そして、プラスアルファの教養が情報としてころがりこんできました。読者の皆さんは、この方に益することが多かったのではないでしょうか。
また、諧謔ユーモアを織り込みながらも、鋭い批判の視座を底に湛えた発言も小気味いいものがあります。とにかく、本日4月8日「花祭」の佳き日に満尾を迎えられたことに、合掌です。(宣長)
留め書き)
歌聖・柿本人麻呂さんには、これまでにもその出会いのチャンスはあったが、「巨人・大鵬・卵焼き」
嫌いで、何時も自らチャンスを逃していた。よもや、こういう形で人麻呂さんにお会いするとは思わ
なかった。お会いをしたら、ムズムズと悪戯心が湧き起こり、蕪村の「春風馬堤曲」に倣い「春風
馬鹿談」とは、それを挙句に奉り、その一つをここに留めておきたい。(不遜)
(春風馬鹿談)
芭蕉さんは、「自分のやっていることは、夏炉冬扇で、晴れの場には役立たず」と、その無用のもの
に、その生涯をかけてしまった。われらの親父らと同年輩の、石川啄木さんは、「歌は私の悲しい玩
具(おもちゃ)である」と告白している。その啄木と同時代の富山の歌人、筏井嘉一さんは、「苦しん
で歌かいてそれが何になるなんにもならぬものもありてよき」と、その心情を素直に吐露している。
それに引き換え、われらの歌聖・柿本人麻呂の、その歌は、かの中国の、「文章は経国の大業、不朽
の盛事なり」と、そんな趣でなくもない。どうも、芭蕉さんの影響を多く受けてしまった因果か、も
う残り少ない人生、これまでもそうであったと同じように、開き直って、「夏炉冬扇」の道を邁進す
るほかは術がない。(「馬鹿談」にはしては、一寸湿っぽいネ)。(不遜)
(追記)
今回、人麻呂の長歌などに触れて、何故か、これまで一番寄り道していた、江戸の享保時代の与謝
蕪村のことなどを思い出していた。蕪村の知人の上田無腸(秋成)は、蕪村が亡くなったとき、
「かな書(がき)の詩人西せり東風(こち)吹いて」の追悼句を捧げたが、この「かな書(がき)
の詩人」の元祖は、すなわち、「やまとうた」の元祖は、柿本人麻呂その人だったのだという思い
を深くしている。(謎の人・蕪村は謎のひと・人麻呂をどの程度知っていたのか、どうも謎は謎を
生む)。(不遜)
平成万葉歌仙(二)「山上憶良・をのこやも」の巻 [平成万葉歌仙]
平成万葉歌仙(二)「山上憶良・をのこやも」の巻
起首 平成二十年三月 六日
満尾 平成二十年三月二十一日
をのこやも空しかるべき
万代に語り継ぐべき名は立てずして 憶良
発句 木の芽張る男児雄々しく巣立ちけり 宣長 春
脇 御津(みつ)の浜松貝寄する風 不遜 春
第三 瓜の種蒔いて山里和やかに 宣 春
四 母子待つゆえ罷(まか)るを許せ 不 雑
五 貧窮の問答忘るる月明かり 宣 秋 月
六 穿沓(うけぐつ)を脱き先ずは猿酒 不 秋
ウ
一 玉かぎるほのかに見えて天の川 宣 秋
二 逢う時まではもとな恋いつつ 宣 雑 恋
三 大野山憶良のため息風となり 不 雑 恋
四 霧も晴れよと妹が袖ふる 不 雑 恋
五 若潮の渦巻く女波抱く男波 宣 雑 恋
六 古代の神の産みたる淡路 宣 雑
七 銀(しろかね)も金(くがね)も玉も虎が雨 不 夏
八 西瓜食(は)みつつ月の寶客 不 夏 月
九 憂き世をば貪るべしとは記されし 宣 雑
十 塩を灌ぎて木は端を切る 宣 雑
十一 花下草上沈痾自哀の文誦す 不 春 花
十二 生は好きもの鰆は美味し 不 春
ナオ
一 都府楼に通う気だるさ春の風邪 宣 春
二 いそしみて行く畑中の道 宣 雑
三 金色の鴟尾(しび)は夕日の中にあり 不 雑
四 平城山の唄口ずさみつつ 不 雑
五 ありったけ着重ねしても隙間風 宣 冬
六 肌の温もり確かめる愛 宣 雑 恋
七 妹が見し番の鳥が羽ばたきて 不 雑 恋
八 浮き津の波に裳(も)の裾濡れぬ 不 雑 恋
九 相共に植えし庭木を撫でている 宣 雑 恋
十 いつも心は突き抜ける青 宣 雑
十一 伯州の時の盛りの月今宵 不 秋 月
十二 鹿火屋の主は老いよし男 不 秋
ナオ
一 指折れど秋の七草決めかねて 宣 秋
二 礫放れば木の実降るふる 不 秋
三 古も今も希望は宙高く 宣 雑
四 述志の歌人悟り給うや 不 雑
五 清貧の庭に心に花魁(かかい)の香 宣 春 花
六 霞立つ日に手鞠つきつつ 不 春
(留め書き)
万葉歌人として研究の対象にはなつても、連句には不向きな歌人のはずで、取り上げる人はこれまでいなかったのではないでしょうか。言うまでもなく、本巻も一応のテーマとして、俎上に挙げるだけで、その人と作品を本格的に追究したわけでもなく、平成に生きる者の二つの視点で見詰めてみただけかもしれません。
途中寄り道もしながら、遊びの要素も介在してはおりましょうが、巧みな手綱捌きで彼岸中日過ぎて満尾を迎えることができました。家持・人麻呂は好個の対象と思うのですが、この憶良という異物は食い足りない、敬遠したいところであります。ただ、ここにいつのまにやら参入し、なんとか出口を見出すことができました。今時、連句享受鑑賞者は数少ないのではないでしょうか。
評価は別にして、万葉歌人「憶良なる人」をどうとらえるかの「平成の視座」を一つ試金石として提示できたかもしれません。 (宣長)
憶良の、例えば、「貧窮問答の歌」の、「(甲)の歌において、貧者が己の身の貧しさを歌い、その問いかけに応える形で、もっと貧しい貧者が、己の悲惨さを(乙)に歌う」と、この斬新さ、さらに、「沈痾自哀の文」の、先人の言葉をひいての、「生は貪るべし、死は畏るべし」など、新しい発見の連続であった。こういう歌人が遥かなる万葉の時代に存在していたのかと思うと身震いするほど驚嘆した。(こういう歌人に比すると、俳聖・松尾芭蕉も何故かしら小さく見えてくる。) (不遜)
起首 平成二十年三月 六日
満尾 平成二十年三月二十一日
をのこやも空しかるべき
万代に語り継ぐべき名は立てずして 憶良
発句 木の芽張る男児雄々しく巣立ちけり 宣長 春
脇 御津(みつ)の浜松貝寄する風 不遜 春
第三 瓜の種蒔いて山里和やかに 宣 春
四 母子待つゆえ罷(まか)るを許せ 不 雑
五 貧窮の問答忘るる月明かり 宣 秋 月
六 穿沓(うけぐつ)を脱き先ずは猿酒 不 秋
ウ
一 玉かぎるほのかに見えて天の川 宣 秋
二 逢う時まではもとな恋いつつ 宣 雑 恋
三 大野山憶良のため息風となり 不 雑 恋
四 霧も晴れよと妹が袖ふる 不 雑 恋
五 若潮の渦巻く女波抱く男波 宣 雑 恋
六 古代の神の産みたる淡路 宣 雑
七 銀(しろかね)も金(くがね)も玉も虎が雨 不 夏
八 西瓜食(は)みつつ月の寶客 不 夏 月
九 憂き世をば貪るべしとは記されし 宣 雑
十 塩を灌ぎて木は端を切る 宣 雑
十一 花下草上沈痾自哀の文誦す 不 春 花
十二 生は好きもの鰆は美味し 不 春
ナオ
一 都府楼に通う気だるさ春の風邪 宣 春
二 いそしみて行く畑中の道 宣 雑
三 金色の鴟尾(しび)は夕日の中にあり 不 雑
四 平城山の唄口ずさみつつ 不 雑
五 ありったけ着重ねしても隙間風 宣 冬
六 肌の温もり確かめる愛 宣 雑 恋
七 妹が見し番の鳥が羽ばたきて 不 雑 恋
八 浮き津の波に裳(も)の裾濡れぬ 不 雑 恋
九 相共に植えし庭木を撫でている 宣 雑 恋
十 いつも心は突き抜ける青 宣 雑
十一 伯州の時の盛りの月今宵 不 秋 月
十二 鹿火屋の主は老いよし男 不 秋
ナオ
一 指折れど秋の七草決めかねて 宣 秋
二 礫放れば木の実降るふる 不 秋
三 古も今も希望は宙高く 宣 雑
四 述志の歌人悟り給うや 不 雑
五 清貧の庭に心に花魁(かかい)の香 宣 春 花
六 霞立つ日に手鞠つきつつ 不 春
(留め書き)
万葉歌人として研究の対象にはなつても、連句には不向きな歌人のはずで、取り上げる人はこれまでいなかったのではないでしょうか。言うまでもなく、本巻も一応のテーマとして、俎上に挙げるだけで、その人と作品を本格的に追究したわけでもなく、平成に生きる者の二つの視点で見詰めてみただけかもしれません。
途中寄り道もしながら、遊びの要素も介在してはおりましょうが、巧みな手綱捌きで彼岸中日過ぎて満尾を迎えることができました。家持・人麻呂は好個の対象と思うのですが、この憶良という異物は食い足りない、敬遠したいところであります。ただ、ここにいつのまにやら参入し、なんとか出口を見出すことができました。今時、連句享受鑑賞者は数少ないのではないでしょうか。
評価は別にして、万葉歌人「憶良なる人」をどうとらえるかの「平成の視座」を一つ試金石として提示できたかもしれません。 (宣長)
憶良の、例えば、「貧窮問答の歌」の、「(甲)の歌において、貧者が己の身の貧しさを歌い、その問いかけに応える形で、もっと貧しい貧者が、己の悲惨さを(乙)に歌う」と、この斬新さ、さらに、「沈痾自哀の文」の、先人の言葉をひいての、「生は貪るべし、死は畏るべし」など、新しい発見の連続であった。こういう歌人が遥かなる万葉の時代に存在していたのかと思うと身震いするほど驚嘆した。(こういう歌人に比すると、俳聖・松尾芭蕉も何故かしら小さく見えてくる。) (不遜)
平成万葉歌仙「大伴家持・新しき年」の巻 [平成万葉歌仙]
平成万葉歌仙「大伴家持・新しき年」の巻
起首 平成二十年二月十九日
満尾 平成二十年三月 一日
新しき年の初めの初春の
けふ降る雪のいや重け吉事(大伴家持)
発句 新しき年の初めの深雪かな 宣長 新年
脇 穂俵飾るいやしけ吉言 不遜 新年
第三 奉る貢の船は水脈引きて 宣 雑
四 たらちねの母何処におわす 不 雑
五 朗唱の越中の月諸人に 宣 秋 月
六 布施の水海秋風強し 不 秋
ウ
一 雲隠り早稲田雁がね人残す 宣 秋
二 酌み交わしたり黒酒白酒を 宣 雑
三 君が名立てば耳をそばたて 不 雑 恋
四 夕さらば来よ手にも触れたし 不 雑 恋
五 一重帯三重帯にまで恋痩せて 宣 雑 恋
六 人目繁くて面影にのみ 宣 雑 恋
七 青丹よし奈良山過ぎて夏の月 不 夏 月
八 来し日の極み風死す如し 不 夏
九 剣太刀身に佩きいざや立ち出でむ 宣 雑
十 八峰を越えて父母の声 宣 雑
十一 天ざかる鄙野に咲ける花に酔ふ 不 春 花
十二 いや時じくに弥生万葉 不 春
ナオ
一 夕影に鶯鳴けばうらかなし 宣 春
二 母植えし木を懐かしむ父 宣 雑
三 うらうらに故郷の山は変わらざる 不 雑
四 五十笹(いささ)群竹風の音する 不 雑
五 残り雪山橘の実の赤さ 宣 冬
六 寒風の中急げる駅馬 宣 冬
七 ぬば玉の作夜(きそ)の仕草を想い出し 不 雑 恋
八 言出(ことで)しは誰その名知らずや 不 雑 恋
九 惚れ惚れと己が眉掻く片恋嬬 不 雑 恋
十 七夕の夜は雲隠れ月 宣 秋 月
十一 山柿の門に入らず一礼す 不 秋
十二 秋野の茂み時の盛りを 不 秋
ナウ
一 かなかなと鳴く鳥もあり旅人の子 宣 秋
二 文の家持霧の多賀城 不 秋
三 憂愁の面描かんと絵筆持つ 宣 雑
四 謎はロマンか謎の謎美(は)し 不 雑
五 万葉を花園として燿う歌 宣 春 花
六 家と剣と持して強東風 不 春
(留め書き)
☆平成万葉歌仙のスタートは大伴家持であった(発句・宣長)。巻き終わって、剣持雅澄さんを始め多くの家持ファンに接することができた。そして、遙か悠久の万葉ロマンの一端に触れることができたのは望外の喜び。家持などに接すると、「家持」・「剣持」とを掛けての挙句などは、実に、小賢しく思えるけれども、これまた、「一興」と、腹をくくるほか術はない。(不)
☆万葉を特別に配慮して頂き、家持・憶良・人麿・赤人とシリーズものにしていただけそうな不遜師の捌であります。ここでは、もう何をか言わんや、であります。折節、道々において懇切丁寧に示唆していただいたものが貴重なものです。
家持は季節で言えば「春の詩人」でありましょうが、次の憶良は「無季の詩人」と言えるのではないでしょうか。ここに旅人が加わり、筑紫歌壇になりますと、季節詩としての歌仙も展開し易くなるかと思います。しかし、今暫く猶予をいただき、頭に来るものを案じてみないと、今回は即座に巻き始めるには、ためらいがあります。少々時間を頂きたいと思います。(宣)
起首 平成二十年二月十九日
満尾 平成二十年三月 一日
新しき年の初めの初春の
けふ降る雪のいや重け吉事(大伴家持)
発句 新しき年の初めの深雪かな 宣長 新年
脇 穂俵飾るいやしけ吉言 不遜 新年
第三 奉る貢の船は水脈引きて 宣 雑
四 たらちねの母何処におわす 不 雑
五 朗唱の越中の月諸人に 宣 秋 月
六 布施の水海秋風強し 不 秋
ウ
一 雲隠り早稲田雁がね人残す 宣 秋
二 酌み交わしたり黒酒白酒を 宣 雑
三 君が名立てば耳をそばたて 不 雑 恋
四 夕さらば来よ手にも触れたし 不 雑 恋
五 一重帯三重帯にまで恋痩せて 宣 雑 恋
六 人目繁くて面影にのみ 宣 雑 恋
七 青丹よし奈良山過ぎて夏の月 不 夏 月
八 来し日の極み風死す如し 不 夏
九 剣太刀身に佩きいざや立ち出でむ 宣 雑
十 八峰を越えて父母の声 宣 雑
十一 天ざかる鄙野に咲ける花に酔ふ 不 春 花
十二 いや時じくに弥生万葉 不 春
ナオ
一 夕影に鶯鳴けばうらかなし 宣 春
二 母植えし木を懐かしむ父 宣 雑
三 うらうらに故郷の山は変わらざる 不 雑
四 五十笹(いささ)群竹風の音する 不 雑
五 残り雪山橘の実の赤さ 宣 冬
六 寒風の中急げる駅馬 宣 冬
七 ぬば玉の作夜(きそ)の仕草を想い出し 不 雑 恋
八 言出(ことで)しは誰その名知らずや 不 雑 恋
九 惚れ惚れと己が眉掻く片恋嬬 不 雑 恋
十 七夕の夜は雲隠れ月 宣 秋 月
十一 山柿の門に入らず一礼す 不 秋
十二 秋野の茂み時の盛りを 不 秋
ナウ
一 かなかなと鳴く鳥もあり旅人の子 宣 秋
二 文の家持霧の多賀城 不 秋
三 憂愁の面描かんと絵筆持つ 宣 雑
四 謎はロマンか謎の謎美(は)し 不 雑
五 万葉を花園として燿う歌 宣 春 花
六 家と剣と持して強東風 不 春
(留め書き)
☆平成万葉歌仙のスタートは大伴家持であった(発句・宣長)。巻き終わって、剣持雅澄さんを始め多くの家持ファンに接することができた。そして、遙か悠久の万葉ロマンの一端に触れることができたのは望外の喜び。家持などに接すると、「家持」・「剣持」とを掛けての挙句などは、実に、小賢しく思えるけれども、これまた、「一興」と、腹をくくるほか術はない。(不)
☆万葉を特別に配慮して頂き、家持・憶良・人麿・赤人とシリーズものにしていただけそうな不遜師の捌であります。ここでは、もう何をか言わんや、であります。折節、道々において懇切丁寧に示唆していただいたものが貴重なものです。
家持は季節で言えば「春の詩人」でありましょうが、次の憶良は「無季の詩人」と言えるのではないでしょうか。ここに旅人が加わり、筑紫歌壇になりますと、季節詩としての歌仙も展開し易くなるかと思います。しかし、今暫く猶予をいただき、頭に来るものを案じてみないと、今回は即座に巻き始めるには、ためらいがあります。少々時間を頂きたいと思います。(宣)