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木下夕爾の俳句 [木下有爾]

木下夕爾の俳句

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〇 学院の留守さかんなる夏樹かな

 昭和四十年作。『遠雷』所収。この句は、詩人で俳人でもあった、木下夕爾が、久保田万太郎が主宰する「春燈」の七月号に発表した五句のうちの一句である。この時の五句が、夕爾の俳句の作品発表の最後らしい。この年の八月に夕爾は、その五十年の生涯を閉じた。

  1965年夏
  私はねじれた記憶の階段を降りてゆく
  うしなわれたものを求めて
  心の鍵束を打ち鳴らし

 その前年にオリンピック東京大会が開催された。この掲出句の「夏樹」には、死の影は毛頭ない。しかし、昭和三十九年の、この詩の「階段を降りてゆく」に、ふと、死の影が見え隠れしている。

〇 たべのこすパセリの青き祭かな

 昭和三十六年作。「たべのこす/パセリの」までは平明な調子であるが、「青き/祭かな」と来ると、詩人・夕爾調となってくる。そして、夕爾には、「港の祭」という詩がある。

  べんとうの折詰からはみ出している
  パセリのひときれのように
  私は今ひどく孤独で新鮮である。

 夕爾の「青」とは「孤独と新鮮」の「青春の息吹」のようなものなのであろう。それよりもなによりも、「べんとうの折詰からはみ出しいる/パセリ」の思いが、常に、夕爾にはつきまとっていたということなのであろう。

〇 噴水の涸れし高さを眼にゑがく

 昭和二十八年作。その詩集『笛を吹く人』の中に、「冬の噴水」という詩がある。

  噴水は
  水の涸れている時が最も美しい
  つめたい空間に
  ぼくはえがくことができる
  今は無いものを

  ぼくはえがく
  高くかがやくその飛場
  激しく僕に突き刺さるその落下

 この夕爾の眼の置き所、江戸時代の画・俳二道を極めた蕪村の、その視点と同じものを感ずる。

  凧(いかのぼり)昨日の空のあり所

〇 あたたかにさみしきことをおもひつぐ

 昭和二十八年作。夕爾の母郷への回想的な句の一つ
であろう。

  故郷よ 竹の筒に入れて失くした二銭銅貨よ
  僕はかへつてくる べつにあてもないのに
  ぼくはかへつてくる そこは僕の故郷だから

  風は樹木の間をぬけて
  怒つた縞蛇のやうに
  僕の首や腕に巻きつく

  故郷よ 竹の筒に入れて失くした二銭銅貨よ
  僕はかへつてくる べつにあてもないのに
  ああ大根の花にむらがる 無数の蝶のなかの
                    一匹

 この詩の「無数の蝶のなかの一匹」という想いが夕爾の詩や俳句の原点であったのだろう

〇 山葡萄故山の雲の限りなし

 昭和二十四年作。「故山」とは故郷の山のこと。また、故郷そのものを指していう。夕爾の詩・俳句のモチーフが「母郷への回想的風景」が多いということは、この句においても、故郷の山に限定することなく、広く母郷への想いの句と理解すべきであろう。
 
 山ぶどうをつんでいるうちに
 友だちにはぐれてしまった

 白い雲がいっぱい
 谷間の空をとざしていた
 谷川の音がかすかにきこえていた

 ひとりでたべるにぎりめしに
 お母さんのかみの毛が
 一本まじっていた

 母郷への想いは母の想いへと繋がる。その想いは白い雲の流れのように、限りなくなつかしいものの一つなのである。

〇 家々や菜の花いろの灯をともし

 昭和三十三年の作。夕爾の句のなかで最もよく知られてものである。「菜の花」の句といえば、蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」がまず浮かんでくる。画人・蕪村の句は、「西の空に日輪が、そして、東の空に月が昇り、そして、地上には、黄色の菜の花に彩られている」という、十七字音の中に、宇宙の広がりを見事に収めた、画家の眼が躍如としている。
 そして、この夕爾の菜の花の句は、詩人・夕爾の眼が息づいている。「灯をともし」の、この下五が絶妙で、薄暮の中に、「菜の花いろの灯がともる」というのである。それが、人間の生活の象徴のように、詩人・夕爾の眼には映るのであろう。
 この「菜の花いろの灯」は、薄暮前の「菜の花」が前提となっていって、そして、「家々に、その菜の花のような灯」が、ともるというのである。この句の、あたかも比喩のような「菜の花」は、十七字音という短い詩形の俳句の、いわゆる、掛詞のような、季語としての「菜の花」が働いているというところに、詩人・夕爾の眼があるのであろう。
 この句は。句碑となって、夕爾の住んでいた家の庭に刻みこまれているという。その夕爾の家の郊外には、一面の田んぼが広がり、その田んぼの傍らの水車小屋辺りでの作という。夕爾らしい句である。

〇 にせものときまりし壷の夜長かな 

 夕爾の昭和三十年の作。夕爾の句としては異色で滑稽味のする句。夕爾に骨董や陶器の趣味があったのかどうかは定かではない。この夕爾が骨董や陶器にも造詣の深い井伏鱒二と郷里を同じくし、終戦後の井伏鱒二が疎開生活をしていた頃、交遊があったことはよく知られている。
 この句の面白さは、「壷の夜長かな」と、その壷の擬人化の醸し出す面白さであろう。と同時に、この句に接すると、その終戦後の夕爾と鱒二との二人の交遊関係などを彷彿させるなど、その壷の背後にいる「人物の夜長」を主題としているからに他ならない。そして、この句のように、「物」(壷)に則して、「者」(陶器談義をしている人)の心境(「夜長」の退屈さ)を醸し出すのは、俳句の骨法中の骨法である。この句は詩人・夕爾の作というよりも俳人・夕爾の作という趣である。
 こういう理屈よりも、この句の「壷」が鱒二の「山椒魚」に思えてくるのが、妙に面白いという雰囲気なのである

〇 地の雪と貨車のかづきて来し雪と

 昭和二十八年作。新興俳句弾圧事件で二年半の刑期後、終戦直前に北海道に移住した、細谷源二の雪の句、「地の涯に倖せありと来しが雪」が髣髴として来る。有爾の、この「地の雪」も、源二の「地の涯に倖せありと来しが雪」と同一趣向のものであろう。
 そして、有爾の、この雪の句の主題は、その「地の涯に降ってきた雪」と「貨車のかづきて来し雪」との「出会い」に、有爾の眼が注がれている…、そこに、この句の生命と有爾の作句する基本的な姿勢を見ることができるのである。同年の作の、「炎天や相語りゐる雲と雲」の、「相語りゐる」、その交響・交流こそ、有爾の詩や句の根底に流れているような、そんな思いがするのである。即ち、有爾は、「地の雪」と「貨車のかづきて来し雪」とが「遭遇」し、その「出会い」の中に、「人と自然との営み」のようなものを感じ取っているに違いない。

〇 遠雷やはづしてひかる耳かざり

 昭和三十二年作。有爾の句集『遠雷』は、この句に由来があるのだろうか。「遠雷」と「耳か
ざり」の「取り合わせ」の句。この句のポイントは、その異質なフレーズの「取り合わせ」の他
に、「はずして・ひかる」という、この中七のフレーズにある。「耳かざり・を・はずして」、
それは、作句者・有爾以外の第三者、そして、この句では、それは「女性」であろうか。そし
て、五・七・五の十七音字の世界に、作句者以外の第三者を登場させることにおいて、抜きん
出ていた俳人こそ、有爾がその師とした久保田万太郎であった。ともすると、自己の心象風景
に眼を向ける有爾の、もう一つの有爾の眼である。

〇 とぢし眼のうらにも山のねむりけり

 昭和三十三年作。「とぢし眼の」の上五の切り出しは、「目(まな)うらの」とか、決して、有爾の独壇場ではなく、さまざまな俳人が用いているものの一つであるけれども、詩人・有爾の、いかにも好むような雰囲気を有している。この句は一句一章体の、一気に読み下すスタイル…、このスタイルも、詩人・有爾の、いかにも好むような雰囲気を有している。そして、この「山のねむりけり」の「けり」の切れ字は、「余韻」を句の生命線のように大事にして、そして、多様する、有爾の師の久保田万太郎の世界のものであろう。有爾は、安住敦を知り、そして、万太郎の世界に入ったようであるが、詩の世界と違って、句の世界にあっては、「寡黙」、そして、「余韻」こそ、その生命線であるということを、十分に承知し、その関連において、有爾は万太郎から多くのものを学んだことであろう。
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