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平成万葉歌仙(四)「東歌・利根川の」の巻 [平成万葉歌仙]

平成万葉歌仙(四)「東歌・利根川の」の巻

起首 平成二十年四月  九日
満尾 平成二十年四月二十五日

利根川の川瀬も知らずただ渡り
    波に逢ふのす逢へる君かも(巻十四・三四一三)

発句 さくらちるわがなげきをば瀬は知るや  不 春 
脇   春まだ寒きあづま国原         宣 春
第三 雉(きぎし)鳴く鎮守の杜を急ぐらん  不 春
四   疾駆の駒のひずめの高音       宣 雑
五  笹葉濡れ有明月もほの白み       不 秋月
六   実り占う相撲(すまい)出で立ち   宣 秋

一  夕闇の猪おどし鳴る入間道       不 秋
二   布曝す児の十重に愛しき       宣 恋
三  紐を解く彼面此面(をてもこのも)に目を凝らし 不 恋
四   常世より来しまれびとの鈴      宣 雑
五  フランスへ青雲の士の勇み立つ     不 雑
六   禁断の書はポケット深く       宣 雑
七  窓際のみどりつめたし不如帰      不 夏 
八   筑波裾野の田毎新月         宣 夏 月 
九  殿若子虫にさされて落涙す       不 雑
十   見捨てられ鳴く大嘘烏        宣 雑
十一 鎌倉の見越の崎の花吹雪        不 春 花
十二 茎立(くくたち)を折る手つきしなやか 宣 春
ナオ
一  青麦を無心に食む故駒追わず      宣 春
二   ぱくと金魚家の児もぱくと      不 夏
三  束の間の主の留守の三尺寝       宣 夏
四   三毳の山のくちづけかたく      不 恋
五  離れても恋の蔓草途切れざる      宣 恋
六   草木よそよげ乙女よそよげ      不 恋
七  冴え冴えと下界いたわる寒の月     宣 冬 月
八   水底氷魚の嘆き知らずや       不 冬 
九  母刀自を玉に巻き持ち出で行くに    宣 雑 
十   かの麗日の光はみちて         不 春  
十一 鶯は青柳の枝くわえ鳴く         宣 春 
十二  伐れば生えすれ芽立ちの深山      不 春
ナウ
一  都への春の便りをいかにせむ      宣 春
二   時されば見よ嗚呼広瀬川       不 雑
三  武蔵野の空の果てより茜射す      宣 雑
四   歩廊に立てば懐かしき丘       不 雑
五  父母に捧げるはずの花吹雪       宣 春 花
挙句  関八州の風炎激し          不 春

(留め書き)

不遜こと晴生氏の名捌によって、本巻も4月中に巻き終えることができました。本格的連句作法を継続的に情報提供いただきながら、実作に投影することもできず、不甲斐なく思われたことでしょう。それにしても、萩原朔太郎の詩を毎回のように送っていただき、東歌の詠まれた東国は前橋の、偉才の詩編には堪能しました。郷愁の詩人蕪村に始まり、万葉は東歌と朔太郎のミスマッチがかえって連句の意外性に効をもたらしたかもしれません。私のために万葉寄りで進めて下さってありがたく、今しばらく甘えさせていただきましょうか。 (宣)

今回は、萩原朔太郎の「純情小曲集」の詩編をバックミュージックのようなかたちで、歌仙の流れのメモ
に付してみた。ともすると、煌びやかな万葉古詞章にまみれて、古色蒼然の世界にどっぷりと浸ってしま
うような趣でなくもなかったが、それを幾分和らげるメリットはあったのかも知れない。この歌仙を巻きながら、「朔太郎が、連句を巻くとしたら、どんなものが巻上がる」のかとか、「朔太郎と犀星との両吟
ものがあったら、これは見ものだった」とか、そんなことを思ったりしていた。また、万葉集の東歌に関連しては、「歌とか俳句とかの短詩型の世界に作者の名は必要なものなのかどうか」なども考えさせられた。何方さんが言い出した言葉なのか定かではないが、「法の下の平等」をもじって、「和歌の下の平等」ということも耳にすることがあるが、まさに、「万葉集をいだくわがくにうるわし」という、一種の
「あいこくしん」も感じるのであった。「あいこくしん」とやらの涵養に躍起になっている方々には、
もっと、「万葉集」の学習などが必要なのではなかろうか? 「春風馬鹿談」調が出てきたところで、こ
れが、今回の備忘録など。(不) 

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