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前田雀郎句集『榴花洞日録』全句鑑賞(その六)

六月

一三三 我が膝をなつかしく見るころもがへ

【鑑賞】季語=「衣替え」(夏)。『誹諧武玉川』の句に「口利ぬ膝へ口利く膝をのせ」(九篇)。膝にもいろいろある。句意=衣替えの日に、しみじみと半ズボンになり、自分の膝に久しぶりにお目にかかった。

一三四 縞物になつて懐ろ淋しがり

【鑑賞】雑。『誹諧武玉川』の句に「金の減るわるい思案の面白さ」(八篇)。無駄金を使うと懐が淋しくなる。句意=縞物の着物と洒落たけど、縞物の財布が淋しくて、これにはどうにも淋しくてなりません。

一三五 川の灯の伸びて縮んで夏になり

【鑑賞】季語「夏」(夏)。『誹諧武玉川』の句に「九(ここの)ツと問えば日なたに立て見る」(八篇)。日向に立って影を見て時間を図る。雀郎は川の灯で季節の移り変わりを知るのである。句意=川面に映る小舟の灯が伸びたり縮んたり、もう夏の夜なんですね。

一三六 六月は遙かの外の人通り

【鑑賞】季語=「六月」(夏)。万太郎の句に「六月の風にのりくる瀬音あり」(『久保田万太郎全集』)。句意=季節は六月です。遙るか彼方の外の人通りも、もう六月の風情です。

一三七 空梅雨(からつゆ)に硝子戸ばかり光るなり

【鑑賞】季語=「空梅雨(からつゆ)」(夏)。虚子の句に「草の戸の開きしままなる梅雨かな」(『日本大歳時記』)。句意=今年の梅雨は、空梅雨(からつゆ)で、ガラス戸だけがピカピカ光っています。

一三八 五月雨あるとこにあるものに飽き

【鑑賞】季語=「五月雨(さみだれ・さつきあめ)」(夏)。蕪村の句に「さみだれや仏の花を捨てに出る」(山本『最新俳句歳時記』)。句意=どうにも鬱陶しい五月雨、何時もの在るところに何時もの物のもの、本当に飽き飽きしました。

一三九 梅雨に入る秩父の空の片明り

【鑑賞】季語=「梅雨」(夏)。「片明かり」の反対は「片蔭り」か。虚子の句に「軒下につなげる馬の片かげり」(山本『最新俳句歳時記』)。句意=梅雨に入りました。遠くの秩父の山々の空は、片側が晴れ片側が雨の片明りのようです。

一四〇 膓(はらわた)へだんだん(※)しみる壁の汚点(しみ)

【鑑賞】雑。『誹諧武玉川』の句に「断食の屁の音も香もなし」。この武玉川の句に比すると、雀郎の句は数段美しい。句意=酒が五臓六腑にしみわたる。丁度、あの壁のあのシミのように、だんだんと広がっていく。

一四一 梅雨の日の袷の似合ふ母となり

【鑑賞】季語=「梅雨・「袷」(夏)。蕪村の句に「ゆきたけもきかで流人(るにん)の袷かな」(山本『最新俳句歳時記』)。句意=梅雨の日の頃になると、母は袷の姿となります。それがなかなか似合うのでした。

一四二 梅雨のひま鼠の走る音を聞き

【鑑賞】季語=「梅雨」(夏)。蕪村の師の巴人の句に「時雨るるや軒にもさがる鼠の尾」(子規・『分類俳句全集』)。句意=梅雨の合間に、鼠がやたらと暴れて、その暴音にゃ、悩まされます。

一四三 梅雨晴の敷石にあるものゝ影

【鑑賞】季語=「梅雨晴(五月晴)」(夏)。麦水の句に「朝虹は伊吹に凄し五月晴れ」(山本『最新俳句歳時記』)。句意=久しぶりの梅雨晴れです。その敷石に写っている人影は誰のだろう。

一四四 傘乾せば傘は小鉢の花の色

【鑑賞】雑。『誹諧武玉川』の句に「傘借りに沙汰のかぎりの顔が来る」(十一篇)。この武玉川の句に比べると、雀郎は自然諷詠派の俳句の世界の人という雰囲気である。句意=梅雨の晴れ間に傘を広げて乾かす。その傘は小鉢の花の色のようです。
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