平成万葉歌仙(二)「山上憶良・をのこやも」の巻 [平成万葉歌仙]
平成万葉歌仙(二)「山上憶良・をのこやも」の巻
起首 平成二十年三月 六日
満尾 平成二十年三月二十一日
をのこやも空しかるべき
万代に語り継ぐべき名は立てずして 憶良
発句 木の芽張る男児雄々しく巣立ちけり 宣長 春
脇 御津(みつ)の浜松貝寄する風 不遜 春
第三 瓜の種蒔いて山里和やかに 宣 春
四 母子待つゆえ罷(まか)るを許せ 不 雑
五 貧窮の問答忘るる月明かり 宣 秋 月
六 穿沓(うけぐつ)を脱き先ずは猿酒 不 秋
ウ
一 玉かぎるほのかに見えて天の川 宣 秋
二 逢う時まではもとな恋いつつ 宣 雑 恋
三 大野山憶良のため息風となり 不 雑 恋
四 霧も晴れよと妹が袖ふる 不 雑 恋
五 若潮の渦巻く女波抱く男波 宣 雑 恋
六 古代の神の産みたる淡路 宣 雑
七 銀(しろかね)も金(くがね)も玉も虎が雨 不 夏
八 西瓜食(は)みつつ月の寶客 不 夏 月
九 憂き世をば貪るべしとは記されし 宣 雑
十 塩を灌ぎて木は端を切る 宣 雑
十一 花下草上沈痾自哀の文誦す 不 春 花
十二 生は好きもの鰆は美味し 不 春
ナオ
一 都府楼に通う気だるさ春の風邪 宣 春
二 いそしみて行く畑中の道 宣 雑
三 金色の鴟尾(しび)は夕日の中にあり 不 雑
四 平城山の唄口ずさみつつ 不 雑
五 ありったけ着重ねしても隙間風 宣 冬
六 肌の温もり確かめる愛 宣 雑 恋
七 妹が見し番の鳥が羽ばたきて 不 雑 恋
八 浮き津の波に裳(も)の裾濡れぬ 不 雑 恋
九 相共に植えし庭木を撫でている 宣 雑 恋
十 いつも心は突き抜ける青 宣 雑
十一 伯州の時の盛りの月今宵 不 秋 月
十二 鹿火屋の主は老いよし男 不 秋
ナオ
一 指折れど秋の七草決めかねて 宣 秋
二 礫放れば木の実降るふる 不 秋
三 古も今も希望は宙高く 宣 雑
四 述志の歌人悟り給うや 不 雑
五 清貧の庭に心に花魁(かかい)の香 宣 春 花
六 霞立つ日に手鞠つきつつ 不 春
(留め書き)
万葉歌人として研究の対象にはなつても、連句には不向きな歌人のはずで、取り上げる人はこれまでいなかったのではないでしょうか。言うまでもなく、本巻も一応のテーマとして、俎上に挙げるだけで、その人と作品を本格的に追究したわけでもなく、平成に生きる者の二つの視点で見詰めてみただけかもしれません。
途中寄り道もしながら、遊びの要素も介在してはおりましょうが、巧みな手綱捌きで彼岸中日過ぎて満尾を迎えることができました。家持・人麻呂は好個の対象と思うのですが、この憶良という異物は食い足りない、敬遠したいところであります。ただ、ここにいつのまにやら参入し、なんとか出口を見出すことができました。今時、連句享受鑑賞者は数少ないのではないでしょうか。
評価は別にして、万葉歌人「憶良なる人」をどうとらえるかの「平成の視座」を一つ試金石として提示できたかもしれません。 (宣長)
憶良の、例えば、「貧窮問答の歌」の、「(甲)の歌において、貧者が己の身の貧しさを歌い、その問いかけに応える形で、もっと貧しい貧者が、己の悲惨さを(乙)に歌う」と、この斬新さ、さらに、「沈痾自哀の文」の、先人の言葉をひいての、「生は貪るべし、死は畏るべし」など、新しい発見の連続であった。こういう歌人が遥かなる万葉の時代に存在していたのかと思うと身震いするほど驚嘆した。(こういう歌人に比すると、俳聖・松尾芭蕉も何故かしら小さく見えてくる。) (不遜)
起首 平成二十年三月 六日
満尾 平成二十年三月二十一日
をのこやも空しかるべき
万代に語り継ぐべき名は立てずして 憶良
発句 木の芽張る男児雄々しく巣立ちけり 宣長 春
脇 御津(みつ)の浜松貝寄する風 不遜 春
第三 瓜の種蒔いて山里和やかに 宣 春
四 母子待つゆえ罷(まか)るを許せ 不 雑
五 貧窮の問答忘るる月明かり 宣 秋 月
六 穿沓(うけぐつ)を脱き先ずは猿酒 不 秋
ウ
一 玉かぎるほのかに見えて天の川 宣 秋
二 逢う時まではもとな恋いつつ 宣 雑 恋
三 大野山憶良のため息風となり 不 雑 恋
四 霧も晴れよと妹が袖ふる 不 雑 恋
五 若潮の渦巻く女波抱く男波 宣 雑 恋
六 古代の神の産みたる淡路 宣 雑
七 銀(しろかね)も金(くがね)も玉も虎が雨 不 夏
八 西瓜食(は)みつつ月の寶客 不 夏 月
九 憂き世をば貪るべしとは記されし 宣 雑
十 塩を灌ぎて木は端を切る 宣 雑
十一 花下草上沈痾自哀の文誦す 不 春 花
十二 生は好きもの鰆は美味し 不 春
ナオ
一 都府楼に通う気だるさ春の風邪 宣 春
二 いそしみて行く畑中の道 宣 雑
三 金色の鴟尾(しび)は夕日の中にあり 不 雑
四 平城山の唄口ずさみつつ 不 雑
五 ありったけ着重ねしても隙間風 宣 冬
六 肌の温もり確かめる愛 宣 雑 恋
七 妹が見し番の鳥が羽ばたきて 不 雑 恋
八 浮き津の波に裳(も)の裾濡れぬ 不 雑 恋
九 相共に植えし庭木を撫でている 宣 雑 恋
十 いつも心は突き抜ける青 宣 雑
十一 伯州の時の盛りの月今宵 不 秋 月
十二 鹿火屋の主は老いよし男 不 秋
ナオ
一 指折れど秋の七草決めかねて 宣 秋
二 礫放れば木の実降るふる 不 秋
三 古も今も希望は宙高く 宣 雑
四 述志の歌人悟り給うや 不 雑
五 清貧の庭に心に花魁(かかい)の香 宣 春 花
六 霞立つ日に手鞠つきつつ 不 春
(留め書き)
万葉歌人として研究の対象にはなつても、連句には不向きな歌人のはずで、取り上げる人はこれまでいなかったのではないでしょうか。言うまでもなく、本巻も一応のテーマとして、俎上に挙げるだけで、その人と作品を本格的に追究したわけでもなく、平成に生きる者の二つの視点で見詰めてみただけかもしれません。
途中寄り道もしながら、遊びの要素も介在してはおりましょうが、巧みな手綱捌きで彼岸中日過ぎて満尾を迎えることができました。家持・人麻呂は好個の対象と思うのですが、この憶良という異物は食い足りない、敬遠したいところであります。ただ、ここにいつのまにやら参入し、なんとか出口を見出すことができました。今時、連句享受鑑賞者は数少ないのではないでしょうか。
評価は別にして、万葉歌人「憶良なる人」をどうとらえるかの「平成の視座」を一つ試金石として提示できたかもしれません。 (宣長)
憶良の、例えば、「貧窮問答の歌」の、「(甲)の歌において、貧者が己の身の貧しさを歌い、その問いかけに応える形で、もっと貧しい貧者が、己の悲惨さを(乙)に歌う」と、この斬新さ、さらに、「沈痾自哀の文」の、先人の言葉をひいての、「生は貪るべし、死は畏るべし」など、新しい発見の連続であった。こういう歌人が遥かなる万葉の時代に存在していたのかと思うと身震いするほど驚嘆した。(こういう歌人に比すると、俳聖・松尾芭蕉も何故かしら小さく見えてくる。) (不遜)
2008-03-22 19:36
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