「光悦・宗達・素庵」周辺(その三) [光悦・宗達・素庵]
その一 「四季草花下絵古今集和歌巻」周辺(A-2図・A-3図)
(参考・『嵯峨本伊勢物語』(角倉本)の模倣覆刻版と思われる版本)
http://kul01.lib.kansai-u.ac.jp/library/etenji/isemonogatari/ise-top.html
【最初の絵入り版本として慶長13年~15年(1608~1610年)に出版された『嵯峨本伊勢物語』の模倣覆刻版と思われる版本に、手書きで彩色をほどこした本です。】
A-2図(『嵯峨本伊勢物語(五九段)』)
「わかうへに露そをく奈る安ま能河 登和たる舟のかひ乃し徒くか」
http://kul01.lib.kansai-.ac.jp/library/etenji/isemonogatari/keityou/gekan/ss009.html
(周辺メモ)
「思ふどち円居せる夜は唐錦 たたまく惜しきものにぞ有りける」(『古今集』864)
歌意=皆で楽しく集まっている夜は、唐錦を裁つのが惜しいように、集いを終えて立つのが
惜しいことだ。
語釈=「思ふどち」=思い合っている者たち。「円居(まとい)」=輪になって座ること。だんらん。「唐錦」=「裁つ」の枕詞。中国から渡来した錦。「たたまく」=「たつ」は「裁つ」と「立つ」の掛かり言葉。「まく」は推量の助動詞、だろう。「裁つ」=裁断する、布を切り離す。
(参考「本阿弥切」)
http://www.emuseum.jp/detail/101056/000/000?d_lang=ja
(A-3)国宝 1巻 縦16.7cm 横317.0cm 平安時代・11世紀 京都国立博物館 B甲548
【雲母で夾竹桃の文様を摺り出した優美な唐紙に『古今和歌集』巻第十二を書写する。巻頭から49首(132行)を収める。料紙の大きさはきわめて小さく、一紙の縦が16.7cm、横が26.6cm。文字も小さいが、運筆は巧みで筆線も弾力に富む。筆者は小野道風(894~966)と伝えるが、もとより伝承にとどまる。作成時期は、道風の時代より遅く平安時代後期にまで下がる。同種の「古今和歌集」としては、巻第十と巻第十一、それに巻第十六から巻第十八の各巻の断簡・残巻の存在が確認されているが、本巻ほど保存状態のよいものはない。唐紙の種類は多様で、色は白、茶、縹(はなだ)、文様も雲鶴、相生唐草、花菱、蓮唐草、唐花草と変化に富む。作成当初はこれら各種の料紙が競うように連ねられていたわけであり、その華やかさは目をみはるものがあったに違いない。 なお、本阿弥切の呼称は、かつて本阿弥光悦(1558~1637)がこの「古今和歌集」を愛蔵していたことによる。江戸時代には、若狭の大名酒井家が所蔵するところとなっていた。 】
(参考・『嵯峨本伊勢物語』(角倉本)の模倣覆刻版と思われる版本)
http://kul01.lib.kansai-u.ac.jp/library/etenji/isemonogatari/ise-top.html
【最初の絵入り版本として慶長13年~15年(1608~1610年)に出版された『嵯峨本伊勢物語』の模倣覆刻版と思われる版本に、手書きで彩色をほどこした本です。】
A-2図(『嵯峨本伊勢物語(五九段)』)
「わかうへに露そをく奈る安ま能河 登和たる舟のかひ乃し徒くか」
http://kul01.lib.kansai-.ac.jp/library/etenji/isemonogatari/keityou/gekan/ss009.html
(周辺メモ)
「思ふどち円居せる夜は唐錦 たたまく惜しきものにぞ有りける」(『古今集』864)
歌意=皆で楽しく集まっている夜は、唐錦を裁つのが惜しいように、集いを終えて立つのが
惜しいことだ。
語釈=「思ふどち」=思い合っている者たち。「円居(まとい)」=輪になって座ること。だんらん。「唐錦」=「裁つ」の枕詞。中国から渡来した錦。「たたまく」=「たつ」は「裁つ」と「立つ」の掛かり言葉。「まく」は推量の助動詞、だろう。「裁つ」=裁断する、布を切り離す。
(参考「本阿弥切」)
http://www.emuseum.jp/detail/101056/000/000?d_lang=ja
(A-3)国宝 1巻 縦16.7cm 横317.0cm 平安時代・11世紀 京都国立博物館 B甲548
【雲母で夾竹桃の文様を摺り出した優美な唐紙に『古今和歌集』巻第十二を書写する。巻頭から49首(132行)を収める。料紙の大きさはきわめて小さく、一紙の縦が16.7cm、横が26.6cm。文字も小さいが、運筆は巧みで筆線も弾力に富む。筆者は小野道風(894~966)と伝えるが、もとより伝承にとどまる。作成時期は、道風の時代より遅く平安時代後期にまで下がる。同種の「古今和歌集」としては、巻第十と巻第十一、それに巻第十六から巻第十八の各巻の断簡・残巻の存在が確認されているが、本巻ほど保存状態のよいものはない。唐紙の種類は多様で、色は白、茶、縹(はなだ)、文様も雲鶴、相生唐草、花菱、蓮唐草、唐花草と変化に富む。作成当初はこれら各種の料紙が競うように連ねられていたわけであり、その華やかさは目をみはるものがあったに違いない。 なお、本阿弥切の呼称は、かつて本阿弥光悦(1558~1637)がこの「古今和歌集」を愛蔵していたことによる。江戸時代には、若狭の大名酒井家が所蔵するところとなっていた。 】
「光悦・宗達・素庵」周辺(二) [光悦・宗達・素庵]
その一 「四季草花下絵古今集和歌巻」周辺(A-1図)
A-1図(A図の一部拡大図) 「我上に(わがうへに) 露そ(露ぞ) をく那類(なる)
天河(あまの川) とわたる舟濃(の)」(「漢字=男文字・万葉仮名」と「仮名文字=女文字」との造形的な表記、下記の「参考(「嵯峨本伊勢物語」)・(「本阿弥切)」」と比較参照)
(周辺メモ)
https://wakastream.jp/article/10000201mJpf
「わが上に露ぞおくなる天の河とわたる舟の櫂のしづくか」
(『伊勢物語(五九段)』・『古今集』863)
歌意=私の上に露が置くようだ。この命の水は天の河の渡し場をわたる舟を漕ぐ櫂のしずくだろうか。
観賞=ある男が都の生活をどうだろうかと思ったのであろうか、東山(加茂川の東の丘陵地帯)に家を探した。そうして山里に暮らして、ひどい病気にかかり死んだような状態になってしまったが、顔に水がかかり息を吹き返した。歌は息を吹き返した男が詠んだ。
この歌は『古今集』雑上に読み人しらずの歌として収録されている。同じ段の「住みわびぬ今はかぎりと山里に身をかくすべき宿求めてむ」の歌から男は在原業平として描かれているのだろう。高貴な生まれの貴族で風流人で好色といわれた業平ではあるが、厭世的な神経症の姿は実際に持っていた一面なのかもしれない。
A-1図(A図の一部拡大図) 「我上に(わがうへに) 露そ(露ぞ) をく那類(なる)
天河(あまの川) とわたる舟濃(の)」(「漢字=男文字・万葉仮名」と「仮名文字=女文字」との造形的な表記、下記の「参考(「嵯峨本伊勢物語」)・(「本阿弥切)」」と比較参照)
(周辺メモ)
https://wakastream.jp/article/10000201mJpf
「わが上に露ぞおくなる天の河とわたる舟の櫂のしづくか」
(『伊勢物語(五九段)』・『古今集』863)
歌意=私の上に露が置くようだ。この命の水は天の河の渡し場をわたる舟を漕ぐ櫂のしずくだろうか。
観賞=ある男が都の生活をどうだろうかと思ったのであろうか、東山(加茂川の東の丘陵地帯)に家を探した。そうして山里に暮らして、ひどい病気にかかり死んだような状態になってしまったが、顔に水がかかり息を吹き返した。歌は息を吹き返した男が詠んだ。
この歌は『古今集』雑上に読み人しらずの歌として収録されている。同じ段の「住みわびぬ今はかぎりと山里に身をかくすべき宿求めてむ」の歌から男は在原業平として描かれているのだろう。高貴な生まれの貴族で風流人で好色といわれた業平ではあるが、厭世的な神経症の姿は実際に持っていた一面なのかもしれない。
「光悦・宗達・素庵」周辺(一) [光悦・宗達・素庵]
その一 「四季草花下絵古今集和歌巻)」周辺(A図)
「近世初頭に現れた本阿弥光悦書・俵屋宗達金銀泥絵の書画作品のなかで、ひと際、鮮やかな光彩を放つ一群がある。一般に四大絵巻と呼ばれる以下の和歌巻である。」(『俵屋宗達 金銀の<かざり>の系譜(玉蟲敏子著)』)
① 四季草花下絵古今集和歌巻(一巻・畠山記念館蔵)
② 鶴下絵三十六歌仙和歌巻(一巻・京都国立博物館蔵)
③ 鹿下絵新古今集和歌巻(MOA美術館・シアトル美術館ほか諸家分蔵)
④ 蓮下絵百人一首和歌巻(焼失を免れた断簡が東京国立博物館ほか諸家分蔵)
(周辺メモ・仮説) → 『嵯峨野名月記(辻邦生著)』など
プロデューサー(producer) → 本阿弥光悦・角倉素庵
ディレクター(director) → 本阿弥光悦
クリエイター(creator) → (書)本阿弥光悦・角倉素庵
(画)俵屋宗達ほか
その一 「四季草花下絵古今集和歌巻)」周辺(A図)
【「四季草花下絵古今集和歌巻」→ 一巻 紙本金銀泥 三三・五×九一八・七㎝ 印章「伊年」朱文円印 重要文化財 畠山記念館蔵 】(『琳派一(紫紅社)』)
A図=部分図(巻頭・「竹」図)・和歌(『古今集』巻一七・雑上)
863 わがうへに 露ぞおくなる あまの川 と(門)わたる舟の かひのしづくか
864 思ふどち まとゐせる夜は 唐錦 たたまくをしき 物にぞありける
「近世初頭に現れた本阿弥光悦書・俵屋宗達金銀泥絵の書画作品のなかで、ひと際、鮮やかな光彩を放つ一群がある。一般に四大絵巻と呼ばれる以下の和歌巻である。」(『俵屋宗達 金銀の<かざり>の系譜(玉蟲敏子著)』)
① 四季草花下絵古今集和歌巻(一巻・畠山記念館蔵)
② 鶴下絵三十六歌仙和歌巻(一巻・京都国立博物館蔵)
③ 鹿下絵新古今集和歌巻(MOA美術館・シアトル美術館ほか諸家分蔵)
④ 蓮下絵百人一首和歌巻(焼失を免れた断簡が東京国立博物館ほか諸家分蔵)
(周辺メモ・仮説) → 『嵯峨野名月記(辻邦生著)』など
プロデューサー(producer) → 本阿弥光悦・角倉素庵
ディレクター(director) → 本阿弥光悦
クリエイター(creator) → (書)本阿弥光悦・角倉素庵
(画)俵屋宗達ほか
その一 「四季草花下絵古今集和歌巻)」周辺(A図)
【「四季草花下絵古今集和歌巻」→ 一巻 紙本金銀泥 三三・五×九一八・七㎝ 印章「伊年」朱文円印 重要文化財 畠山記念館蔵 】(『琳派一(紫紅社)』)
A図=部分図(巻頭・「竹」図)・和歌(『古今集』巻一七・雑上)
863 わがうへに 露ぞおくなる あまの川 と(門)わたる舟の かひのしづくか
864 思ふどち まとゐせる夜は 唐錦 たたまくをしき 物にぞありける