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前田雀郎句集『榴花洞日録』全句鑑賞(その八) [前田雀郎]

八月

一五九 子心に何か待たるゝお迎火

【鑑賞】季語=「迎火」(秋)。一茶の句に「迎火は草の外(はづ)れのはづれ哉」また子規の句に「迎火や父に似た子の頬(ほ)の明り」(山本『最新俳句歳時記』)。句意=今日はお盆のお迎火。子供ながらに、何かを待っていたのが、懐かしく思い出されてくる。

一六〇 灯籠に生きてゐる身の灯をともし

【鑑賞】季語=「(盆)灯籠」(秋)。万太郎の句に「新盆やひそかに草のやどす露」(『久保田万太郎全句集』)。句意=今日は初盆。亡き人の御霊を祀るために灯籠に、残っている者として灯をともします。
(雀郎自注)知り合いの料亭にあそび、二階の窓から見るともなくそこの中庭を通して、住居につづく廊下のあたりに目をやると、見る人ありと知らずや、ちょう度女主人が軒に盆提灯をつるしてるところであった。そうだ初盆だなと、つい先頃若くして逝ったその人のつれあいのことを思い一寸改った気持ちになったが、その時の、今は未亡人たるその女主人の、提灯をささげる姿に、いかにも在ますが如く故人にかしずくといった趣きがあって、何か胸迫るのを覚えた。人の「われ生きてあり」という姿を、私は、その時ほど、しみじみと見せられたことはない。『川柳全集九』

一六一 魂まつり見ぬ顔ながら思はれて

【鑑賞】季語=「魂まつり」(秋)。「見ぬ顔ながら思はれて」の意味がいろいろに取れる。芭蕉の句に「数ならぬ身とな思ひそ魂祭」(山本『最新俳句歳時記』)。句意=今日は「魂まつり」です。線香上げにいったら何処の人かと間違われてしまいました。

一六二 魂棚へ拝む子の名を云ひ添へる

【鑑賞】季語=「魂棚」(秋)。去来の句に「魂棚の奥なつかしや親の顔」(山本『最新俳句歳時記』)。句意=魂まつりの魂棚に拝みながら、その亡き人との子のことについても報告しました。

一六三 茄子(なすび)の馬胡瓜の馬の別れかな 
 
【鑑賞】季語=「茄子の馬」。「お迎へお迎へ」との前書きがある。一茶の句に「さし汐や茄子の馬の流れ寄る」(山本『最新俳句歳時記』)。句意=今日はお盆のお迎への日。茄子の馬は胡瓜の馬とお別れをして、お迎へお迎へと走ります。 
 
一六四 藪入りがよく見て帰る母の顔 
 
【鑑賞】季語=「藪入り」。『誹諧武玉川』の句に「面目もなく婆々の藪入」(七篇)。同じ藪入りでも、年をとってのその悲哀は切なるものがあろう。句意=今日は、お盆の藪入りの日です。奉公に行っていて、その休みによくよく母の顔を見て帰るのでした。 
 
一六五 七月も二十日も越せば人臭し 
 
【鑑賞】季語=「七月」。『誹諧武玉川』の句に「一盃呑むと衣ぬぐ僧」(七篇)。坊さんでもこのように人が臭いのである。まして、凡人の場合はなおさらである。句意=お盆の月も旧の七月の二十日ともなれば、仏様のことは忘れて人間様の匂いが充満します。 
 
一六六 蚊張(かや)吊つた夜は新しき枕許 
 
【鑑賞】季語=「蚊張(かや)」。『誹諧武玉川』の句に、「蚊を焼いてさへ殺生ハ面白き」(一一篇)。江戸古川柳の原形のような武玉川でも、そのものズバリで唖然とする。句意=今日、今年初めての蚊帳を吊った。その夜の、その新しい枕許も実に清々しい。  
 
一六七 蚊の声にしばらく座る蚊張の中 
 
【鑑賞】季語=「蚊張」・「蚊」(夏)。也有の句に「なきがらに一夜蚊屋釣る名残かな」(山本『最新俳句歳時記』)。句意=蚊がブンブンしていて、しばらく、蚊張の中に座っているほかはない。 
 
一六八 この辺は晝も蚊張吊る桐の花 
 
【鑑賞】季語=「蚊」・「桐の花」(夏)。秋桜子の句に「山宿や花桐がくれ屋根の石」(山本『最新俳句歳時記』)。この自然諷詠の極致のような句に比しても、雀郎の句は一歩も退かない。句意=桐の花が咲いて鮮やかな夏だ。そして、この辺では昼間も蚊帳が欲しい位、蚊もブンブンしている。 

一六九 蚊柱の中へ一ぴき見失ひ 

【鑑賞】季語=「蚊柱」(夏)。「蚊柱」というのは蚊が沢山集まり飛んで柱のように見えること。一茶の句に「一つ二つから蚊柱となりにけり」(山本『最新俳句歳時記』)。句意=蚊を追っかけていたら、その一ぴきが蚊柱に入り、どれがどれやら、分からなくなってしまった。  
 
一七〇 寝苦しい夜の畳のありどころ 
 
【鑑賞】雑。『やない筥(ばこ)』の句に「寝る所(と)コを見立(みたて)て歩ルく暑い事」(初篇)。寝苦しい夜はどうにもならない。句意=寝苦しい夜、畳のある所で、ごろんごろんし、朝を迎える。 
 
一七一 短夜の掻巻さぐる足の先 
 
【鑑賞】季語は「短夜」(夏)。『やない筥(ばこ)』の句に「寝るが格段楽しミハいびられる」(二篇)。句意=夏の夜の短い夜を足の先で掻巻を探っている。
 
一七二 凉しさのラヂオ体操寝ながらに 
 
【鑑賞】季語=「涼しさ」(夏)。芭蕉の句に「此あたり目に見ゆる物はみなすゞし」((山本『最新俳句歳時記』)。句意=朝のラヂオ体操を聞きながら、寝ながらラヂオ体操を聞いている。まだ涼しい夏の朝だ。
 
一七三 蜩は夢よりぬけて朝の風 
 
【鑑賞】季語=「蜩」(夏)。万太郎の句に「蜩をきゝてふたゝび眠りけり」(『久保田万太郎全句集』)。〔句意〕夢から覚めて朝の風を身に受けている。どこかで、蜩が鳴いているようだ。幻聴かも知れない。 
 
一七四 蜩に一本高き樹を思ふ
 
【鑑賞】季語は「蜩」(夏)。雀郎の心象風景であろう。万太郎の句に、「ひぐらしに十七年の月日かな」(『久保田万太郎全句集』)。この万太郎の句には「ひさびさに河童忌に出席」との前書きがある。句意=蜩が鳴いている。何故か、その声を聞くと故郷の一本の高い高い樹木が思いだされてくる。

一七五 女房も地の頭でゐる冷奴 
 
【鑑賞】季語=「冷奴」(夏)。虚子の句に「冷奴死を出て入りしあとの酒」、また、万太郎の句に「もち古りし夫婦の箸や冷奴」(山本『最新俳句歳時記』)。句意=とりとめもない冷奴を食っている。女房の頭もなりふり構わない地の頭のままだ 
 
一七六 冷奴八ツ手の下の夜の深み 
 
【鑑賞】季語=「冷奴」・「八ツ手の花」(夏)。万太郎の句に「「何ごともひとりに如(し)かず冷奴」(『久保田万太郎全句集』)。句意=夜は更けていく。八ツ手を見ながら、冷奴で独り酒を酌んでいる。  
 
一七七 やゝあつて花火の空の星となり 
 
【鑑賞】季語=「花火」(夏)。新興俳句の旗手の一人でもあった西東三鬼の句に「暗く暑く大群衆と花火待つ」(山本『最新俳句歳時記』)。句意=花火が打ち上げられる。しばらく間をおいて見事な花火の空となり、星となり散っていく。 
 
一七八 音もなく花火がある他所(よそ)の町 
 
【鑑賞】季語=「花火」(夏)。三鬼の師に当たる主知派の巨匠・山口誓子の句に「花火見て一時間後に眠り落つ」(山本『最新俳句歳時記』)。句意=遠くの他所(よそ)の町で、音もなく花火が上がっている。取り残されている自分をしみじみと感じている。 
(雀郎自注)一夏、子供のため羽田の海岸に過したことがある。そこでの夜、何処とも知れず海の向うに盛んに花火のあがるのが見た。しかも音一つ聞えぬのである。その音のないということがあの花火の下では多勢の人が楽しそうに群れていることであろうと想像しながらも、それがまったく自分とは縁も、ゆかりもない他人事のように思われ、眼にありながらもそれと気持ちを一つにつなぎ得ぬことに、何か堪らない淋しさを覚えたのであった。この句は、千住の橋向うに住む友人から花火に招かれながら、何かの都合で行けず、不参の詫びをしたためながら、フトそのことを思い出し、ハガキの端に書き添えて送ったもの。今でも何かの時、こういう音のせぬ花火が、心の中にあることがある。『川柳全集九』 
 
一七九 花火のあとの淋しさを独り帰へり 
 
【鑑賞】季語=「花火」(夏)。林火の句に「ねむりても旅の花火の胸にひらく」(山本『最新俳句歳時記』)。句意=花火を見終わった後、その華やかさの後の淋しさを胸に抱きながら、帰途につく。 
 
一八〇 夏の夜の花火の殻に明けてゐる 

【鑑賞】季語=「花火」・「夏の夜」(夏)。この花火は花火大会のような大がかりなものではなく、子供の遊び用の花火であろうか。万太郎の句に、「俳諧の秋の花火のあがりけり」(『久保田万太郎全句集』)。句意=夏の朝になると昨日の夜に遊んだ花火の殻が一杯だ。あたかもその殻が朝を告げているようにも思えてくる。 
 
一八一 きりぎりす(※)いつか夜明けの風となり 
 
【鑑賞】季語=「きりぎりす」(夏)。『俳諧武玉川』の句に、「きりぎりす背中の上に膝がしら」(一一篇)。句意=きりぎりすが一晩中鳴いていて、そして、何時しか夜明けの風となってしまった。 
 
一八二 青桐は夏痩人に羨まれる 
 
【鑑賞】季語=「青桐」(夏)。「青桐」は「梧桐(あおぎり・ごとう)」。夏になると葉が繁り、その緑色は美しい。虚子門の原石鼎の句に「水無月の枯葉相つぐ梧桐かな」(山本『最新俳句歳時記』)。句意=青桐は夏になると繁茂して、夏痩せの人には羨ましい限りだ。 
 
一八三 東京の屋根に飽きてる夏休み 
 
【鑑賞】季語=「夏休み」(夏)。虚子の句に「下宿屋の西日の部屋や夏休み」また虚子に師事した中村汀女の句に「朝顔に口笛ひようと夏休み」(山本『最新俳句歳時記』)。句意=東京の下宿ばかりで屋根ばかり見て暮らしている。それに飽きた頃が夏休みだ 
 
一八四 夏の夜の凉しき影の重なりて 

【鑑賞】季語=「夏の夜」・「凉し」。虚子の句に「雲焼けて静かに夏の夕かな」(山本『最新俳句歳時記』)。句意=夏の夜、影が幾重にも重なって、涼しい風情を醸しだしている。  
 
一八五 夏の夜の更けて何やら人だかり 
 
【鑑賞】季語=「夏の夜」。『やない筥(ばこ)』の句に「夏めいて来るとどこがで笛を吹き」(四篇)。句意=夏の夜が更けていく。すると、何やら人だかりがしている。何かあったのかな。  
 
一八六 寝姿のいゝも哀れなものゝ中 
 
【鑑賞】雑。『誹諧武玉川』の句に「寝姿のうちでいやしき柏餅」(一〇篇)。「柏餅」とは一枚の布団を二つ折りにしてその間に入って寝ること。句意=寝姿はいい感じと共に何か哀れさを醸しだしている。 
 
一八七 白扇へ何気なく書く指の先 
 
【鑑賞】季語=「白扇」(夏)。『川傍柳』の句に「白壁で手習いをして叱られる」(三篇)。白壁に書くとお目玉を食らう。句意=何も買いていない白扇に、何気なく筆ではなく手の指先で書く真似をしている。 
 
一八八 蛍籠晝は風吹くばかりなり 
 
【鑑賞】季語=「蛍籠」(夏)。『玉柳』の句に「蛍籠昼は草ばつかりのよう」。句意=昼の蛍籠は、蛍がいるのかどうか、風だけがあたっていて、わびしい風景だ。
(雀郎自注)☆蛍籠というもの、昼は妙に侘しいものである。軒先に吊られて、風の吹くままにたよりなく揺れている。午下りの、あたりに音一つない。森閑としたひととき、そういう蛍籠を眺めていると、自分の体にまでそのむなしさが浸み込んで来る思いがする。扇子に何か一句をと求められて、かねて心にあったこのことをそのまましたため与えたところ、ハハア、成程、昼あんどんという寓意で、と作者の考えていなかったところで感心させられたが、私には決してそういう下心があっての句ではない。単なる嘱目に過ぎぬのである。『川柳全集九』 
 
一八九 花氷誰待つとしもなきひまを 
 
【鑑賞】季語は「花氷」(夏)。「花氷」とは美しい花々を閉じ込めた氷の柱のこと。「誰待つとしもなきひまを」が分かり難い。万太郎の句に「花氷雨夜のおもひふかめけり」(『久保田万太郎全句集』)。句意=花氷がしてある。誰待つともなく、どの年というのでもなく、どの間隙というのでもなく、ただ、美しい花氷が飾ってある。  

一九〇 扇など繕ふ夏の気の弱り 
 
【鑑賞】季語=「扇」・「夏」(夏)。蕪村の句に「渡し呼ぶ草のあなたの扇哉」(山本『最新俳句歳時記』)。句意=扇子などの取り繕っていて、どうにも今年の夏は気が塞ぎ込んでいる。  
 
一九一 夜すゝぎの月の出る間を凉しげに 
 
【鑑賞】季語=「凉し」(夏)。「夜すゝぎ」は「夜濯ぎ」か「夜薄」か、それとも、両者を掛けているか。万太郎の句に「口紅のいさゝか濃きも涼しけれ」(『久保田万太郎全句集』)。句意=夜、足を濯いでいる。薄の上の月も出ていて涼しげな夜である。 
 
一九二 古浴衣着つゝ馴れにし肩の癖 
 
【鑑賞】季語=「浴衣」(夏)。万太郎の句に「借りて着る浴衣のなまじ似合けり」(『久保田万太郎全句集』)。句意=この古い浴衣は着慣れていて、私の肩の癖に丁度良くなっている。  
 
一九三 風の日の袂重がる暑さ負け 
 
【鑑賞】季語=「暑さ」。『誹諧武玉川』の句に「いやと思へば重いふり袖」(七篇)。「重い」と思うのは気のせいでもある。句意=風の強い日、着物の袂が重く感じられるが、暑さ負けのせいかも知れない。  
 
一九四 掛取りの汗を見くびり金がなし 
 
〔補注〕季語=「汗」。『川傍柳』の句に「掛取りの前で銭箱ぶちまける」(初篇)。句意=借金取りが汗を拭き拭きやってきた。どうせ金がないと見くびって応対するほかあるまい。 
 
一九五 生酔のいつそ凉しく寝て仕舞ひ 
 
【鑑賞】季語=「凉し」。『俳諧武玉川』の句に「生酔の杖にして行(ゆく)向風」(七篇)。 
句意=酔っぱらって気分もわるい。いっそ、寝て仕舞ったほうが涼しい良い気分になれるだろ。
 
一九六 帷子(かたびら)はあきらめきつた後ろつき 
 
【鑑賞】季語=「帷子(かたびら)」。『俳諧武玉川』の句に「帷子の藍は手ぬるし初松魚(がつお)」(一六篇)。藍の帷子は夏の単重(ひとえ)で見た目にも涼しいが、初鰹にはかなわないというのである。句意=亭主を亡くし、あの帷子の後ろ姿は何もかも諦めきった、そんな後ろ姿だ。 
 
一九七 カナカナ(※)に何所かは夜になつてゐる 
 
【鑑賞】季語=「カナカナ」(夏)。蜩のことを「かなかな」ともいう。作家の滝井孝作の句に「かなかなや川原に一人釣りのこる」(山本『最新俳句歳時記』)。句意=カナカナが鳴いている。それは「何所かは夜になつている」と鳴いているようだ。 
 
一九八 何事もなく日が暮れて胡瓜もみ 
 
〔補注〕季語=「胡瓜」(夏)。虚子門の感覚の鋭い川端茅舎の句に「胡瓜もみ蛙の匂ひしてあはれ」(山本『最新俳句歳時記』)。句意=今日も一日何事もなく何時ものように過ぎていった。家では胡瓜もみをしている。 
(雀郎自注)☆一日の勤めを終って我が家に帰る。家内が台所で何かコトコト夕餉の支度の刻みものをしている。そういういつもと変らぬ日の暮れの景色に、先ず今日も無事だとという安堵感を覚えての作で、「胡瓜もみ」としたのもその平凡を見せようためであった。『川柳全集九』 
 
一九九 すつぱりと鰌の汁の日の盛り 
 
【鑑賞】季語=「鰌(どじょう)汁」。芥川龍之介の句に「更くる夜を上(うは)ぬるみけり泥鰌汁」(山本『最新俳句歳時記』)。句意=夏の暑い盛りの日、すっぱりと暑気を払おうと鰌(どじょう)汁をすする 
 
二〇〇 片蔭り今や鰌を割かんとす 
 
【鑑賞】季語=「鰌(どじょう)」。万太郎の句に「ひぐらしや煮ものがはりの鰌鍋」(『久保田万太郎全句集』)。句意=暑い日差しの片蔭りの所で、今、まさに、鰌(どじょう)を割こうとしています。

〇一 雲の峰堀割一つまつすぐに 
 
【鑑賞】季語=「雲の峰」=入道雲(夏)。芭蕉の句に「雲の峯いくつ崩れて月の山」(山本『最新俳句歳時記』)。句意=空には夏の入道雲が、あたかも大きな一つの堀割のように真っ直ぐに伸び切っている。 
 
二〇二 炎天にくづれてくろき船の煙 
 
【鑑賞】季語=「炎天」=「炎帝」(夏)。虚子の句に「炎天にすこし生れし日かげかな」(山本『最新俳句歳時記』)。句意=燃え狂うよう炎天の下で、黒い船の煙が崩れてとろけていくようだ。 
 
二〇三 桐の葉の暑さこらへて静かなり 
 
【鑑賞】季語=「暑さ」(夏)。虚子の句に「桐一葉日当たりながら落ちにけり」(山本『最新俳句歳時記』)。夏のうちに繁茂していた桐も秋になると「一葉落ちて天下の秋を知る」ということになる。句意=桐の葉というのは、よく見ると、実に、この猛烈な暑さにもよくこらえて、少しもねをあげず、静かに、泰然自若としている。 

二〇四 葬ひに一人遅れて夏の足袋 
 
【鑑賞】季語=「夏足袋」(夏)。『玉柳』の句に「とむらいの付合言訳に立タず」(一七篇)。葬式の義理は何よりも大事にしなければならないのである。句意=葬式に慇懃にも白い夏足袋を履いて一人遅れて参列した。その白い夏足袋が目立つ。  
 
二〇五 海鳴りを一人聞いてる花合せ 
 
【鑑賞】雑。『やない筥(ばこ)』の句に「海へでもいつて遊べと漁師の子」(三篇)。句意=海鳴りの音を一人聞きながら、花合わせに興じている。
(雀郎自注)☆今かえりみて、自分は「海鳴り」という言葉の中に、その人のその場に於ける何ということない不安と帰心、そんな心持ちを出したつもりらしいが、受取って頂けるかどうか。今ならば麻雀というところかも知れないが、しかし麻雀としたのでは、この妙にジメッとした気分が消えてしまうように思われる。『川柳全集九』 
 
二〇六 宿借蟹(やどかり)の爪の音聞く午下り 
 
【鑑賞】季語=「宿借蟹(やどかり)」=「蟹」(夏)。暁台の句に「夕雨やかに出揃ふ蟹の穴」(山本『最新俳句歳時記』)。句意=夏の日の午後、やどかり蟹の爪の音を聞いている。私もしがない「やどかり」亭主である。
(雀郎語録)☆句の余情、余韻というものは、読者の心をこれに遊ばすべく作品の中に残した一つの客間である。『川柳全集九』所収「雀郎の寸言」 

二〇七 美しき髪掻く指を持ちにけり 
 
【鑑賞】雑。『誹諧武玉川』の句に「梳(す)く時は側(そば)でもかゆひ心もち」(五篇)。しかし、同じ武玉川でも「噂の尼の指を見に行(ゆく)」(九篇)となると、手の小指を切断した、かっての遊女のことを指すこととなる。雀郎の句の指もこの意味があるのかも知れない。句意=その女(ひと)は、その黒々とした立派な髪を梳くに相応しい指を持っている。 
 
二〇八 東京の恋しき夜を稲びかり 
 
【鑑賞】季語=「稲びかり」(夏)。芭蕉の句に「稲妻や闇の方行く五位の声」(山本『最新俳句歳時記』)。句意=稲光りを見ながら、しきりに、恋しい東京のことに思いを馳せている。
(雀郎語録)☆頷き合いこそ川柳のイノチである。『川柳全集九』所収「雀郎の寸言」 

二〇九 稲妻が窓へ這入つて肌をいれ 
 
【鑑賞】季語=「稲妻」(夏)。『誹諧武玉川』の句に「寝て居た前を合す稲妻」(初篇)。雀郎の句も武玉川の句も色っぽい。句意=稲妻が走る。それが、一瞬、窓から入ってきて、肌を映し出す。
(雀郎語録)☆観察は不断に新しきおどろきを生む。『川柳全集九』所収「雀郎の寸言」
 
二一〇 雨宿り向ふの窓の白いもの 
 
【鑑賞】雑。『誹諧武玉川』の名句に「白い所は葱のふと股(もも)」(六篇)。句意=雨宿りをしている。向こうの窓にチラッと白いものが見える。
(雀郎語録)☆真実を伝えるということは、必ずしも克明にものを写すということではない。その中に生きた姿をつかみそれを示すことである。『川柳全集九』所収「雀郎の寸言」 

二一一 日照り草駅長室の古簾(すだれ) 
 
【鑑賞】季語=「簾(すだれ)」(夏)。『誹諧武玉川』の句に「翠簾(みす)を巻く顔へ夕日の突当り」(一六篇)。句意=駅の構内には日照り草が生え、駅長室には古簾(すだれ)がかかっている。 
 
二一二 夏負けが見てる拓榴(ざくろ)の花ざかり 
 
【鑑賞】季語=「夏負け」・「拓榴(ざくろ)の花」(夏)。中村草田男の句に「若者には若き死神花拓榴」(山本『最新俳句歳時記』)。草田男の句の内容は重いのだろうが、川柳的な軽い解も成り立つであろう。句意=夏負けの痩せた人が、燃え立つような盛りの拓榴(ざくろ)の花を見ている。 
 
二一三 荒壁の匂ふ残暑の天ぷら屋 
 
【鑑賞】季語=「残暑」(夏)。『誹諧武玉川』の句に「土蔵の見える木がらしの果(はて)」(八篇)。句意=まだまだ残暑が厳しい。天ぷら屋の荒壁が、日照りの中で油臭い。
(雀郎自注)☆もとは、私などが知ってからでも天ぷら屋というものは、夏場は休業して、その間を見世の手入れなどに過ごし、秋風の立つのを待って商売を始めるのが習わしになっていた。この句はそういう仕来りを知らないと「荒壁」という言葉の持つ感じが生きて来ないが、しかしそれだけのことで、別に自慢するほどのものではない。天ぷら屋というものが、妙に高級がって来たこの頃、当時を偲ぶよすがとして、こういう句も風俗史的に多少の興味があろうかと思い揚げてみた。『川柳全集九』 

二一四 鵜の顔へ忘れた頃の月がさし 
 
【鑑賞】季語=「鵜」(夏)。「長良川鵜飼」との前書きがある。鵜の方ばかり見て、つい月を見るのを忘れたのであろう。万太郎の句に「鵜篝(かゞり)のもえさかりつゝあはれなり」(『久保田万太郎全句集』)。句意=すっかり鵜が鮎を取るのに見とれたしまった。その顔ばかり見て、今、すっかり忘れていた月の光が鵜の姿を浮き彫りにしているのに気がついた。


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