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前田雀郎句集『榴花洞日録』全句鑑賞(その三) [前田雀郎]

前田雀郎句集『榴花洞日録』全句鑑賞(その三)

三月

四四 雛まつり去年の今日の匂ひにゐ

【鑑賞】季語=「雛まつり」(春)。万太郎の句に「雛かざる座敷を掃きてゐたりけり」(『久保田万太郎全句集』)。句意=三月三日の雛祭の雛を飾ると昨年の今日の匂いの中にいるようだ。

四五 雛達の同じ顔なる別れ際

【鑑賞】季語=「雛」(春)。この「別れ際」を雛祭り呼ばれての別れ際なのか、それとも「雛納め」の際の別れ際なのか、後者の方が素直であろう。万太郎の雛納めの句に「川みゆる二階の雛を納めけり」(『久保田万太郎全句集』)。句意=雛納めの、その別れ際に、雛たちは同じような顔つきのままである。

四六 おもしろや一枚脱げば春の風

【鑑賞】季語=「春の風」(春)。雀郎の「おかし」の句。春は未だ寒いのに肌着を一枚脱ぐと春の風を感じたというのだろう。万太郎の句に「いと甘き菓子口に入れ春の風」(『久保田万太郎全句集』)。句意=面白いもんだ。まだ寒いのに一枚脱ぐと春の風を味わえるなんて、たまらない。

四七 夜の灯の竈(かまど)へ届くあたゝかさ

【鑑賞】季語=「あたゝか」(春)。雀郎の日常些事の風景。「軽み」の句。万太郎の句に「たたかきひそかにさしてくる日かな」(『久保田万太郎全句集』)。句意=暗くなって夜の灯が台所の竈を映し出すと何故か暖かい春の感じがする。

四八 火の消えたストーブに立つ淋しがり

【鑑賞】季語=「ストーブ」(冬)。しかし、「ストーブを春にらなってもしまわずにそのままにしている」ということなのだろう」(「ストーブ除く」となると春の季語)。万太郎の句に「ストウブの前で又読み直す手紙」(『久保田万太郎全句集』)。句意=春で火の気のないストーブに何故か手をかざす。誰もいないのに話し相手のいないこの寂しさ。

四九 ひよつ子がみんな駆け出す春の土

【鑑賞】季語=「春の土」(春)。雀郎はこういう句を得意とする。これは邪気のない「まこと」の句眼によるのだろう。高浜虚子の句に「大木を離れて根這う春の土」(山本『最新俳句歳時記』)。句意=ヒヨッコが一斉に駆け出した。暖かい春の土の上で遊びたいのだろう。

五〇 台所がまだ開いてゐるあたゝかさ

【鑑賞】季語=「あたゝか」(春)。「台所が」と上五が字余りで雀郎の視点はここにあるのだろう。「露の茅舎」こと川端茅舎の句に「暖や飴の中から桃太郎」(山本『最新俳句歳時記』)。句意は=台所がまだ開いているよ。もうすっかり春なのだ。

五一 桶一つ流れて春の川となり

【鑑賞】季語=「春の川」(春)。俳句も川柳も創り手と詠み手との「頷き合いがイノチ」との雀郎寸言がある。この句などはその恰好のものであろう。万太郎の句に「春の川みせし青物市場かな」。句意=春の川はのんびりとして、桶が一つ流れていきます。

五二 春服に雨霽(は)れ道も新しく

【鑑賞】季語=「春服」(春)。「春服(しゅんぷく)」とは正月の晴れ着(春着)のことではない。明るい柄や春らしい色彩のものをいう。万太郎の句に「春服やわがおもひ出の龍之介」(『久保田万太郎全句集』)。句意=明る春の服を着ると、雨も晴れ上がり、道すらも新しく爽やかだ。

五三 草の芽や底抜降りのそのあした

【鑑賞】季語=「草の芽」(春)。「底抜け降り」とは容器の底が抜けるほどの土砂降りのこと。一茶の辛らつな「穿ち」の草の芽の句に「門の草芽出すやいなむしらるゝ」(山本『最新俳句歳時記』)。句意=昨日の土砂降りは物凄かった。それにもかかわらず、かえって、今日の草の芽は一段と伸びている。

五四 やゝ濡れて桜の蕾眼に近し

【鑑賞】季語=桜(春)。「眼に近し」というのは「視線に入った」のような意味だろう。万太郎の句に「花待てとはつ筍(たけのこ)のとゞきけり」(『久保田万太郎全句集』)。句意=やや雨に濡れた蕾がすぐ目の前にある。もうすぐ咲きそうだ。

五五 それぞれ(※)に土買ふ春の暮らし向

【鑑賞】季語=「春」(春)。春になるとそれぞれの家で庭いじくりをするというような意味であろう。万太郎の句に「しろくまのむつめる春の日なりけり」(『久保田万太郎全句集』)。句意=春になるとそれぞれの家で庭いじりの土を買うそんな庶民の暮らし向きです。

五六 花を待つ心何かを待つ心

【鑑賞】季語=「花」(春)。春を待つうきうきするようなリズムである。万太郎の句に「花の山ゆめみてふかきねぶりかな」(『久保田万太郎全句集』)。句意=何かをまっている心、それは花の咲くの必死に待っている心と知りました。

五七 腹這ひになつて子供といゝ話

【鑑賞】雑。万太郎はこの句集の「序」で、「そこまで知恵も器量も捨てなければならないのか」と、雀郎を諌めているような文を寄せているが、万太郎にとってはこういう雀郎の子煩悩の視線が羨ましかったのだろう。万太郎の句に「遠足の子にはじめての海青き」(『久保田万太郎全句集』)。句意=腹ん這いになって子供と取りとめのない話をする。これまた楽しからずや。

五八 乗換券(のりかへ)を揉んで捨てたる春の風

【鑑賞】季語=「春の風」(春)。「乗換券(のりかへ)を揉んで捨てたる」という図は今でも経験するものの一つ。万太郎の句に「春風や孫もつて知る孫の味」(『久保田万太郎全句集』)。句意=春の風に気を取られてうっかりと乗換券を揉んで捨ててしまった。まいったなあ。

五九 あたゝかさ乞食も背負ふ影法師

【鑑賞】季語=「あたゝか」(春)。『誹風柳多留』の影法師の句になると「影法師の一つ隠れて膝枕」(四篇)。句意=暖かくなってきた。ホームレスもその影法師だけは暖かさそうだ。

六〇 春の夜は夢の中にも雨が降り

【鑑賞】季語=「春の夜」(春)。「夢の中にも雨が降り」とは雀郎の「春の夜」の心象風景であろう。万太郎の句に「春の夜に堪へよとくらき灯なりけり」(『久保田万太郎全句集』)。句意=私の心の中の春の夜というのは夢の中ですらも何時も雨が降っています。

六一 病人の淋しくつくる煙草の輪

【鑑賞】雑。煙草の煙でシャボン玉遊びのような輪を作っている図。それが病人だという。万太郎の句に「胃潰瘍春の夕のやまひかな」(『久保田万太郎全句集』)。句意=病人が一人淋しくベットの上で煙草をふかしながら輪を作っている。

六二 眼薬に何所やら風が吹いてゐる

【鑑賞】雑。目薬を入れ、目をつぶっていると、その目薬の冷たさで風の方向が分かるという図。『誹風武玉川』の目薬の句に「目薬の貝も淋しき置どころ」(初篇)。句意=目に目薬を入れている。その目薬の冷たさで何処やらか風が吹いているのが分かる。

六三 春しづか灰になり行く桜炭

【鑑賞】季語=「春」(春)。「桜炭」は「佐倉炭」で佐倉地方で産する上質の炭のこと。「夜」という語は出てこないが、春の夜を的確に描写している。万太郎の「炭つぐ」句に「小説も下手炭をつぐことも下手」(『久保田万太郎全句集』)。句意=火鉢の桜炭に手をかざしながら静かな春の夜を独りでいると、何時しか時間もたって炭も灰になって行く。

六四 春の夜のあぶなき時計見るばかり

【鑑賞】季語=「春の夜」(春)。「あぶない」とは「あてにならない」ということ。万太郎の時計の句に「時計屋の時計春の夜どれがほんと」(『久保田万太郎全句集』)。句意=春の夜はぼやっとしていて、そんなぼやっとした夜は時計までぼやっとしていて、そのぼやっとした時計を見ているうちに時がたってしまう。

六五 親も身に灯ともし頃の覚えあり

【鑑賞】雑の句。「親も身に灯ともし」に雀郎の余韻が醸し出される。万太郎の句に「春の夜や下げてまづしき灯一つ」(『久保田万太郎全句集』)。句意=親もこうやって私と同じように思案して夜遅くまで灯をともしていた頃のことを覚えています。

六六 口笛の何をたくらむ春の宵

【鑑賞】季語=「春の宵」(春)。「何かたくらむ」という感じの句は川柳に多い。『誹風武玉川』の「口笛」の句に「はね付(つけ)られて口笛をふく」。句意=春の宵に口笛を吹いている。また、何かたくらんでいる感じだ。

六七 恋すればこそ暁の雨の音

【鑑賞】雑。俳諧(連句)には恋の句を出す見せ場があるが、この句は雀郎の恋の句。芭蕉の恋の句に「馬に出ぬ日は家で恋する」(東明雅『芭蕉の恋句』)。句意=切ない恋、もう暁の雨の音、一夜が明けていく。

六八 春の雨このお座敷の外へ降り

【鑑賞】季語=「春の雨」(春)。「志保原」(塩原)という前書きがある。即興的な句の感じ。万太郎の句に「山かくす雲のゆきゝや春の雨」(『久保田万太郎全句集』)。句意=温泉宿のお座敷の外に目をやると春雨が来て、しっとりした風情である。
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