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前田雀郎句集『榴花洞日録』全句鑑賞(その七) [前田雀郎]

七月

一四五 冷やびやと足袋履きおろす夏祭

【鑑賞】季語=「夏祭り」(夏)。虚子の句に「電車行くそばに祭の町すこし」また万太郎の句に「吉原のみより今なき祭かな」(山本『最新俳句歳時』)。句意=今日は夏祭の日。新しい足袋を履く。冷やびやとして気が引き締まる。

一四六 お揃ひを着せても家の子が目立ち

【鑑賞】〕雑。『誹諧武玉川』の句に「二三丁我子に似たる子に引(ひかれ)」(十一篇)。句意=同じお揃ひを着せても、うちの子が立派に見えるのは、親の欲目なのでしょうかね。(雀郎自注)いわば身びいき、親の欲目をいっただけのものに過ぎないが、しかし今この句をつくった時のことを振り返ると、これには「古川柳」の「祭りの子笑って通る家の前」という句が下敷になっていたような気がしないでもない。私のはこの句によって眼を与えられ、得たように思われる。私は右の古川柳を、よく気持ちの出ている句として愛している。いつかの「いとう句会」(注・久保田万太郎を宗匠とする文人達の句会)で、今は亡き久米正雄氏が、俳句でこれに似た句をつくられたと聞くが、その時久保田万太郎氏がいったそうである。「ありますよ、それ、雀郎に」と。『川柳全集九』

一四七 お絞りの中へ眼をあくいゝ気持

【鑑賞】雑。『誹諧武玉川』の句に「重荷おろして対の溜溜」(一六篇)。溜溜がでるほど気持ちが良い。句意=暑い日、暑いお絞りで顔を拭く。目のところにジーンと何ともいえない良い気持ちだ。
(雀郎自注)もとは、汲み立ての冷水に真新しい手拭いを添えて「どうぞお拭き下さい」というのが、家庭における夏の客に対するもてなしで、絞ってあげましょうかというのは余程親しい仲でないとなかった。それがいつの頃からか、この絞ってあげましょうかの「お絞り」が、料亭などにおける四季を通じての、上等のサービスとなった。この風俗の筋は日本のものではなさそうであるが、しかし悪いものではない。夏ま日、冷たいものよりも、いっそ熱湯で絞り上げたのを顔に当てた時の有難さ。殊にそのお絞りの中へ眼をあく時のこころよさは正に天下一。この句はそういう実感をそのまま詠ったもの。何のハタラキもないが、読む人は経験の中に、この気持ちを頷かれるであろう。『川柳全集九』

一四八 鮎二ひきしばらく焼かず皿の上

【鑑賞】季語=「鮎」(夏)。鬼貫の句「飛ぶ鮎の底に雲ゆく流かな」(山本『最新俳句歳時記』)。句意=見事な二匹の初物の鮎。皿にのせたままで、焼かずに見ほれています。
〔自注〕最近は知らず、震災のあと私が初めて初台(注・渋谷区代々木)に家を持った当時は、今頃になると、朝早く多摩川から、とりたての鮎をこの辺まで売りに来た。まだ香りも失せず、色あざやかな、文字通り眼も覚めるような端々しいその姿を見ると、何かしばらくそのまま眺めていたいような気持ちになる。この句はそういう感動を率直に詠ったその頃の作品で作者は「しばらく焼かず」という言葉に、その惜しいという心を盛ったつもりである。敢えて「二ひき」と数を限ったのは、その美しいという印象を強めるため、余計なものを捨てたのであり「皿の上」もまた、注意をここに集めるために設けた一つのワクであって、必ずしも眼前のそれをいったものではない。『川柳全集九』

一四九 初物にして食べてやる家の膳

【鑑賞】雑。『誹諧武玉川』の句に「椀をかくせば膳へ上(あが)る子」(九篇)。同じ膳でも亭主と幼児ではこうも違う。句意=その初物の鮎を家に持ちかえり、家のお膳でムシャムシャと食べてやるのでした。

一五〇 今日もまた虫の命を見て生きる

【鑑賞】雑。『誹諧武玉川』の句に「蟻の引く物を見て居るもの思ひ」(一八篇)。雀郎もまた物思いに耽っているのだろう。句意=今日も命永らえて、今日もまたか弱い小さな虫の命を思いながら、それを投影させながら命を慈しむのでした。

一五一 帯長き浴衣の宵を淋しがる

【鑑賞】季語=「浴衣」(夏)。万太郎の句に「借りて着る浴衣のなまじ似合けり」(山本『最新俳句歳時記』)。句意=浴衣を着て長い帯をして夏の宵だというのに、誰も来てくれず、淋しいたらありゃしない。

一五二 短夜の麻雀待となりにけり

【鑑賞】季語=「短夜」(夏)。麻雀の句とは珍しい。『誹諧柳多留』の句に「札を見に九条通りをぞうろぞろ」(十一篇)。句意=夏の短い夜、麻雀で、ゲーム待ちとなっている。

一五三 七月の海を思へば晴れてゐる

【鑑賞】季語=「七月」(夏)。雀郎の傑作句の一つ。『誹諧武玉川』の句に「腹のたつ時見るための海」(初篇)。海というものはそういうものなのかも知れない。句意=何時も脳裏にある七月の海は、快晴の中にあって、正に、「海は呼ぶ」という感じです。

一五四 夏の風邪枝吹く風を見るばかり

【鑑賞】季語=「夏風邪」(夏)。虚子の句に「夏風邪はなかなか老に重かりき」(山本『最新俳句歳時記』)。句意=夏風邪で寝ている。その床からは風に揺れる木々の枝が見えるだけです。

一五五 夏の夜の後ろ姿を覚えられ

【鑑賞】季語=「夏の夜」(夏)。芭蕉の句に「夏の夜や崩れて明けし冷し物」また万太郎の句に「夏の夜や水からくりのいつとまり」(山本『最新俳句歳時記』)。句意=夏の夜、すっかり私の後ろ姿を覚えられてしまいました。(どうも恥ずかしい思いです。)

一五六 鬼灯(ほうづき)の鉢も涼しき置き所

【鑑賞】季語=「鬼灯(ほうづき)」(夏)。「四万六千日」との前書きがある。「四万六千日」は鬼灯市のこと。七月十日でこの日参詣すると一日で四万六千日参詣したほどの功徳があるという。万太郎の句に「鬼灯や小銭はさみし昼夜帯」(『久保田万太郎全句集』)。句意=鬼灯(ほうづき)は夏の風物詩の一つだ。その鉢の一つひとつの置き場所も、涼しいように見えるように工夫する。

一五七 草市へ浴衣の糊を殊更に

【鑑賞】季語=「浴衣」・「草市」(夏)。『誹諧武玉川』の句に「草市のはかなき物を値切リ詰」(市五篇)。草市は七月十五日で于蘭盆に入用な真菰・蓮の葉・鬼灯などを売る市で高価なものは置いていない。それを値切るのだから侘しい光景でもある。雀郎は草市が好きだったのだろう。句意=鬼灯(ほうづき)など草市に出掛けた。糊のよくきいた浴衣をきて、ピッシと夜店を歩く。

一五八 草市にチツトかソツト濡れて来る

【鑑賞】季語は「草市」。万太郎の句に「草市の灯籠売の出るところ」『久保田万太郎全句集』)。句意=草市に、「チット」か「ソット」か位に、草にでも濡れたのか、濡れてやって来た。

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