(バーチャル連句)芭蕉・宗鑑両吟「かきつばた」の巻 [バーチャル連句]
(バーチャル連句)芭蕉・宗鑑両吟「かきつばた」の巻
起首 平成二十年五月 十日
満尾 平成二十年五月二十三日
発句 有難き姿拝まんかきつばた 翁 夏
脇 呑まんとすれば湧く岩清水 宗鑑 夏
第三 いざさらば句碑見にはやる心にて 芭蕉 雑
四 つんぬめりたる竹薮の径 鑑 雑
五 名月に街中めぐり酒びたり 蕉 秋月
六 初子授かる爽やかな風 鑑 秋
ウ
一 柿食えば奈良には古きお大仏 蕉 秋
二 稚児に向かいて太刀抜いて追う 鑑 雑恋
三 初恋のなまめく文のたどたどし 蕉 雑恋
四 器用貧乏となりの庵主 鑑 雑
五 池静かトトロが消える水の音 蕉 雑
六 反笠檜笠顔見合わせて 鑑 雑
七 鷹一つ夢見続けて一夜庵 蕉 冬
八 置き去りの月天に凍ゆる 鑑 冬月
九 ひろうして草臥れて翁うらめしや 蕉 雑
十 呪われぬ前経読むとせむ 鑑 雑
十一 髪茫々容顔蒼し花見たし 不 春花
十二 春の酔夢の十穀聖 鑑 春
ナオ
一 松風のいかなる音色春ならん 鑑 春
二 山路越え来てすみれ草咲く 蕉 春
三 追いつかん追いつかんとす笈負ひて 鑑 雑
四 庵の柱に軽ろき瓢箪 蕉 雑
五 地獄へは落ちぬ祈りを歌に書く 鑑 雑
六 時雨の宿りこれが人生 蕉 冬
七 年忘れ嫗翁に額寄せ 鑑 冬恋
八 老いて盛んな超厚化粧 蕉 雑恋
九 山寺と聞けば懐かしかの聖 鑑 雑恋
十 里に出ぬ日は何時も色事 蕉 雑恋
十一 さあ抜けと月下の閻魔に舌出して 鑑 秋月
十二 十王堂の御目に秋風 蕉 秋
ナウ
一 ちと用があるような鴫飛び立てり 鑑 秋
二 はや秋十(と)とせ故郷遙かに 蕉 雑
三 忘れ果て帰す所なき放浪者 鑑 雑
四 老懶見据え雲仰ぎ見つ 不 雑
五 二ツ笠いづれワキシテ花吹雪 鑑 春花
挙句 かけめぐるものみなうららけし 蕉 春
(留め書き)
俳祖宗鑑と俳聖芭蕉の邂逅という史実を超えた「バーチャル連句」に初参加させていただきました。これ
は私の宿願のようなもので、ただ学問的に両者を比較論じるのではなく、ロールプレイとして対話させた
かったわけです。この2週間があっという間に終わりました。これまで過ごしたどの2週間よりも充実し
た期間でした。対論と言うには短過ぎ、お互いに舌足らずになっているでしょうが、何かのとっかかりが
各所に散りばめられているかと思います。(参考)として簡潔に補記していただいたまとめが、これまた
俳諧連歌研究に資するものが提示されているかと思っています。
「宗鑑と芭蕉」と題して菊池寛記念館文芸講座(7月12日)で講ずるに当たり、急遽本巻を展開させて
いただいたことにただただ感謝するばかりです。それまでにもう少し自己研鑽しなければ受講者に申し訳
ありません。5月22日付け四国新聞文化欄には年間計画が掲載され身の引き締まる思いです。
まずは、その基礎資料としてこの両吟を公開解説することになります。曲がりなりにも文芸作品でしょ
うか。共作・共詠であります。いわゆる「捌」という連句特有用語で、俳号不遜さんが捌です。右も左も
分からぬ俳号宣長は私めであります。役柄の念を押せば「芭蕉役=不遜」「宗鑑役=宣長」ということで
す。(5月23日・宣長)
ネット連句では、下野と讃岐といわず地球規模で、この種のバーチャルものを瞬時にして行うことができ
るであろう。また、今回のように、タイムスリップして、それぞれが、それぞれのロールブレイに徹し、
この種のバーチャルものを瞬時にして行うことができるであろう。今回のバーチャルものは、その試行
として、いろいろの示唆を与えてくれた。と同時に、連句の基本は両吟にあることも身をもって実感し
た。(不遜)
(参考)
発句 有難き姿拝まんかきつばた 芭蕉 (『『泊船集』所収「猿雖宛書簡」)
☆「山崎宗鑑屋敷、近衛殿の『宗鑑が姿を見れば餓鬼つばた』と遊ばしけるを思ひ出でて」の前書きあ
り。
脇 呑んとすれど夏の沢水 宗鑑(『雑談集』)
☆「宗鑑が姿を見れば餓鬼つばた」の付句。
第三 いざさらば雪見にころぶ所まで 芭蕉 (『花摘』)
☆貞享四年(一六八七)作。『阿羅野』・『笈の小文』では「いざ行(ゆか)む」の句形。
四 つんぬめりたる恋のみち(『新撰犬筑波集』)
☆かつて宗鑑は山崎に隠棲していたとき、竹薮の繁茂していたのを利用して竹の油筒を作り暮らしの糧にしていたという。
五 名月や池をめぐりて夜もすがら 芭蕉(『孤松』)
☆貞享三年(一六八六)作。其角の『雑談集』にも収載されている。
六 三星になる酒のさかづき/七夕も子をもうけてや祝ふらん(『新撰犬筑波集』・付合〉
☆《注釈》三つ星の形に酒の杯が並ぶことだ。…夫婦星の七夕も子供ができたので、親子三人で三つ星の
形に並んでそのお祝いをしているのだろうか。七夕に子を産ませた面白さ。
ウ一 菊の香や奈良には古き仏達 芭蕉(『笈日記』)
☆元禄七年(一六九四)九月九日作。芭蕉は奈良で重陽の節句を迎えるために、九月八日に伊賀をたった。
ウ二 ひらりと坂を逃ぐる奈良稚児/般若寺の文殊四郎が太刀抜きて(『新撰犬筑波集』・付合〉
☆《注釈》(前句)ひらりとかわし、坂を逃げて行く奈良の稚児。 (付句)般若寺の文殊四郎(有名な刀鍛
冶)が刀を抜いて襲って来たものだから。いや、実は本尊の文殊師利(尻)でなく、坊主が稚児の尻めがけ
て大きな抜身で追い回している。
ウ三 初恋に文書(かく)すべもたどたどし(鼓蟾)/世につかはれて僧のなまめく(芭蕉)(『一葉
集』所収歌仙「あなむざんやな」付合)
☆《注釈》(前句)初恋のラブレターの文もたどたどしい。(付句)僧というのは世俗に超然としている
ものなのに、その若い僧は初恋でなまめいている。『おくのほそ道』の「小松」での「あなむざんや」歌
仙の芭蕉の恋句。
ウ四 及ばぬ恋をするぞをかしき/われよりも大若俗に抱きついて(『新撰犬筑波集』・付合〉
☆《注釈》(前句)身分不相応で成就できそうもない人に恋するなどおかしなことだ。(付句)及ばぬと言っても、身分のことではなく、背丈のことさ。大若俗相手では無理。この場面は女色から男色への転じ方の面白さがねらい。
ウ五 古池や蛙飛びこむ水の音 芭蕉(『蛙合』)
☆貞享三年(一六八六)作。正風開眼の句として名高い。
ウ六 反笠檜笠顔見合わせて(『俳諧二ツ笠』)
☆『俳諧二ツ笠・序』に竹阿が「二師を仰がば、その鑑師は反笠を愛し、芭蕉は檜笠を愛し給ふ」とあり。
ウ七 鷹一つ見付けてうれし伊良古崎(『笈の小文』)
☆貞享四年(一六八七)作。芭蕉の男色説の一人の尾張蕉門の俳人・杜国を訪ねての句(この鷹は杜国とも)。
ウ八 ひろうして見ぬ冬の夜の月/夕しぐれ晴間ぞ脱げや高野笠)(『新撰犬筑波集』付合)
☆《注釈》(前句)ひろうしてよく見渡せない冬の夜の月。(「ひろう」は意味不明。この句、難解)
(付句)夕時雨もやんで晴れ間になったことだし、大きな高野笠を脱いであの月を見よ。
ウ九 草臥れて宿かる頃や藤の花 (『笈の小文』)
☆貞享五年(一六八八)作。『笈日記』には「おなじ年の春にや侍らむ、故主蝉吟公の庭前にて」の前書きあり。
ウ十 阿弥陀経をや奪ひあひぬらん/聖霊がなまとぶらひの宿に来て(『新撰犬筑波集』付合)
☆《注釈》(前句)阿弥陀経を奪い合ったことであろう。(付句)その家の死霊が弔いの怠りがちな宿に来て
(このままでは極楽往生も心もとない)。
ウ十一 髪はえて容顔蒼し五月雨 芭蕉(『続虚栗』)
☆貞享四年(一六八七)作。「自詠」の前書きあり。芭蕉の自画像の一句である。
ウ十二 桜がもとに寝たる十穀/春の夜の夢の浮橋の勧めして(『新撰犬筑波集』付合)
☆《注釈》(前句)桜の花のもとで寝ている十穀聖(穀物を食せぬ精進聖・弘法大師もそれ)。(付句)春の夜
の夢の中で浮橋の勧進(寄付集め)をして(ボランティア活動)。
ナオ一 花の頃御免あれかし松の風(『新撰犬筑波集』)
☆《注釈》松風は風流なものだが、花盛りの頃はせっかくの花も散ってしまうので、ゴメン。
ナオ二 山路来てなにやらゆかしすみれ草 芭蕉(『野ざらし紀行』)
☆貞享二年(一六八五)作。『野ざらし紀行』では「大津に出づる道」の作とされているが、実際は熱田の日本武尊の白鳥山での作。
ナオ三 追ひつかん追ひつかんとや思ふらん/高野聖の跡の槍持ち(『新撰犬筑波集』付合)
☆《注釈》(前句)追いつこう追いつこうと思っているのだろう。(付句)槍持ちは笈を背負って、高野聖の後を追いつこうとしている。『宗長日記』には「この句宗鑑」とあり、ほぼ宗鑑作とみられる。宗長は同じ前句に「高野聖のさきの姫ごぜ」と付けて「愚句心付まさり侍らん哉」と記しているが、俳諧としては宗鑑の方が 面白い。
ナオ四 ものひとつ瓢はかろき我が世かな (『四山集』)
☆貞享三年(一六八六)の作か。この瓢は芭蕉庵の米入れの瓢箪。山口素堂が「四山」と名付けられた。
ナオ五 地獄へは落ちぬ木の葉の夕べかな (『新撰犬筑波集』)
☆「宗祇十三回追善に」の前書きあり。《注釈》先達連歌師飯尾宗祇は、地獄へ決して落ちることなく(めでたく成仏している)ことはその連歌が示しているこの夕べであることよ。
ナオ六 世にふるもさらに宗祇のやどりかな 芭蕉(『虚栗』)
☆天和二年(一六八二)の頃の作。「手づからの雨のわび笠をはりて」の前書きあり。宗祇の「世にふるもさらに時雨のやどりかな」の「時雨」を「宗祇」と言い替えた「本句取り」の句である。さらに、宗祇のこの句は、二条院讃岐の「世にふるは苦しきものを真木の屋にやすくも過ぐる初時雨かな」の「本歌取り」の句である。
ナオ七 額のしはす寄り合ふを見よ/行く年をうばとおほぢや忘るらん(『新撰犬筑波集』付合)
☆《注釈》(前句)師走になると苦労なことが多いので、額のしわが寄り合うものですね。(付句)そうではなく、忘年会で嫗と翁が仲良く額を寄せ合っているのですよ。この付合、冬の句を恋句めいたものにうまく転じている。
ナオ八 姥桜さくや老後の思い出(いで) 芭蕉(『佐夜中山集』)
☆寛文四年(一六四四)、芭蕉二十一歳の作。『佐夜中山集』は、本歌取りの句作を新風として強調するところに特徴がある句集。
ナオ九 無しと答へて帰す山寺/入逢のかねてはまつと言ひしかど(『新撰犬筑波集』付合)
☆《注釈》(前句)無い、と答えて訪ねてきた人を帰す山寺。(付句)入逢の鐘の鳴る頃、来るのを待っているよとかねて約束したのに。種彦本では雑の部、袋中本では恋の部にある。なお、「種彦本」は柳亭種彦筆校本。東京大学洒竹文庫蔵。「袋中本」は京都檀王法林寺蔵。袋中筆本。
ナオ十 上おきの干葉刻むもうはの空(野坡)/馬に出ぬ日は内で恋する(芭蕉)(『炭俵』所収歌仙「振売りの」付合)
☆元禄六年(一六九三)作。この芭蕉の付句は「馬方は仕事に出ない日はいつもうちに籠って色事にふけっている」。芭蕉はまぎれもなく宗鑑の系譜である。
ナオ十一 十王堂に秋風ぞ吹く/浄玻璃の鏡に似たる月出でて(『新撰犬筑波集』付合)
《注釈》(前句)十王堂に秋風が吹いている。(付句)折から、閻魔堂の使う浄玻璃の鏡に似た月が空に輝いている。
(補説)ここで「十王堂」とは、閻魔大王を祭ったお堂で「閻魔堂」とも言う。一夜庵に隣接する観音寺・琴弾八幡宮境内に「十王堂」の建物は今はないが、「十王堂」と称して親しまれている広場がある。一般に「十王堂」は『十王経』に説く冥界の十王を祭ったお堂で、その信仰は当時至るところにあったとも言われている。「浄玻璃」はもと水晶のこと。閻魔庁法廷にあって亡者が生前に犯した罪を映し出す鏡とされている。
ナオ十二 若葉して御目の雫ぬぐはばや(『笈の小文』)・あらたふと青葉若葉の日の光(『おくの細道』)
☆前句は貞享五年(一六八八)唐招提寺参詣の折の作。後句は元禄二年(一六八九)「おくのほそ道」の途次にあって日光東照宮での作。
ナウ 一 宗鑑はどちへと人の問ふあらばちと用ありてあの世へと言へ(宗鑑辞世の歌・伝承)
☆「秋十年却つて江戸を指す故郷」(芭蕉)。宗鑑忌=陰暦10月2日。【10日後】芭蕉忌(翁忌・桃青忌・時雨忌)=10月12日。
ナウ 二 秋十年却つて江戸を指す故郷 芭蕉 (『野ざらし紀行』)
☆天和四年(貞享元年・一六八四)の作。寛文十二年(一六七二)の江戸出府から十二年目、延宝四年(一六七八)の帰郷から九年目で、この十年(ととせ)は概数。この「却つて」という語に、非定住を決意した作者の未練がほの見えるか。
ナウ 三 ☆宗鑑の「故郷近江国草津→京阪山崎→讃岐国一夜庵」という単線的「西下」への想い。
ナウ 四 この秋は何で年寄る雲に鳥 芭蕉(『笈日記』)
☆元禄七年(一六九四)の作。九月二十六日の、「この道や行く人なしに秋の暮」、そして、この「旅懐」と前書きのある「この秋は何で年寄る雲に鳥」、二十八日の「秋深き隣は何をする人ぞ」の句、これらの句が、『笈日記』の絶唱三章として綴られている。芭蕉は、この芭蕉最後の旅にあって、その健康が
定かでない中にあって、「憂い・老懶」の真っ直中にあって、「何で年寄る」と完全な俗語の呟きをもっ
て、「雲に鳥」と、連歌以来の伝統の季題の、「鳥雲に入る」・「雲に入る鳥」・「雲に入る鳥、春也」
と、次に来る「春」を見据えている。
ナウ 五 ☆「二ツ笠」は初裏六に既出の「反笠」「檜笠」を指す。即ちそれを被っているのは、俳祖宗
鑑・俳聖芭蕉であって、これを「二ツ笠」と称したのは二六庵竹阿(一茶の師匠)。宗鑑終焉地というゆか
りあればどうしてもこの人を疎かにはできず、また一方では普遍性ある芭蕉の正風を大切にしなければな
らない。二者択一ではなく、両者を共に受け容れる包容力を竹阿が訴えている。
挙句 旅に病んで夢は枯野をかけめぐる 芭蕉 (『笈日記』)
☆芭蕉の最後の吟である。芭蕉は元禄七年(一六九四)十月十二日、「死顔うるはしく」眠るように逝っ
た。芭蕉は九月二十九日の夜から病床につくのであるが、この絶吟ともいえる句は、十月八日の夜、呑
舟に墨をすらせて、「病中吟 旅に病んで夢は枯野をかけめぐる 翁」とお書せになり、支考を呼ばれ
て、「なほかけめぐる夢心」とも作ったが、「どちらか」とたずねられた。そして、生死の転変を前にし
て、なお、こんなことに迷うのは、仏教では妄執というのだろうが、この一句で生前の俳諧を忘れようと
思う、とおしゃった。翁に辞世はなかった。この「病中の吟」は辞世の吟ではない。旅に病んで、なお、
旅の途上にある自己の実存を夢見ていたのであった。
(追記)なかなか立派な参考データですね。これが実質的な「留め書き」ですね。と同時に、宣長
さんの「レジメ」の基礎資料にもなれば、一石三鳥ということかも。まずは、メデタシ、メデタシ。
起首 平成二十年五月 十日
満尾 平成二十年五月二十三日
発句 有難き姿拝まんかきつばた 翁 夏
脇 呑まんとすれば湧く岩清水 宗鑑 夏
第三 いざさらば句碑見にはやる心にて 芭蕉 雑
四 つんぬめりたる竹薮の径 鑑 雑
五 名月に街中めぐり酒びたり 蕉 秋月
六 初子授かる爽やかな風 鑑 秋
ウ
一 柿食えば奈良には古きお大仏 蕉 秋
二 稚児に向かいて太刀抜いて追う 鑑 雑恋
三 初恋のなまめく文のたどたどし 蕉 雑恋
四 器用貧乏となりの庵主 鑑 雑
五 池静かトトロが消える水の音 蕉 雑
六 反笠檜笠顔見合わせて 鑑 雑
七 鷹一つ夢見続けて一夜庵 蕉 冬
八 置き去りの月天に凍ゆる 鑑 冬月
九 ひろうして草臥れて翁うらめしや 蕉 雑
十 呪われぬ前経読むとせむ 鑑 雑
十一 髪茫々容顔蒼し花見たし 不 春花
十二 春の酔夢の十穀聖 鑑 春
ナオ
一 松風のいかなる音色春ならん 鑑 春
二 山路越え来てすみれ草咲く 蕉 春
三 追いつかん追いつかんとす笈負ひて 鑑 雑
四 庵の柱に軽ろき瓢箪 蕉 雑
五 地獄へは落ちぬ祈りを歌に書く 鑑 雑
六 時雨の宿りこれが人生 蕉 冬
七 年忘れ嫗翁に額寄せ 鑑 冬恋
八 老いて盛んな超厚化粧 蕉 雑恋
九 山寺と聞けば懐かしかの聖 鑑 雑恋
十 里に出ぬ日は何時も色事 蕉 雑恋
十一 さあ抜けと月下の閻魔に舌出して 鑑 秋月
十二 十王堂の御目に秋風 蕉 秋
ナウ
一 ちと用があるような鴫飛び立てり 鑑 秋
二 はや秋十(と)とせ故郷遙かに 蕉 雑
三 忘れ果て帰す所なき放浪者 鑑 雑
四 老懶見据え雲仰ぎ見つ 不 雑
五 二ツ笠いづれワキシテ花吹雪 鑑 春花
挙句 かけめぐるものみなうららけし 蕉 春
(留め書き)
俳祖宗鑑と俳聖芭蕉の邂逅という史実を超えた「バーチャル連句」に初参加させていただきました。これ
は私の宿願のようなもので、ただ学問的に両者を比較論じるのではなく、ロールプレイとして対話させた
かったわけです。この2週間があっという間に終わりました。これまで過ごしたどの2週間よりも充実し
た期間でした。対論と言うには短過ぎ、お互いに舌足らずになっているでしょうが、何かのとっかかりが
各所に散りばめられているかと思います。(参考)として簡潔に補記していただいたまとめが、これまた
俳諧連歌研究に資するものが提示されているかと思っています。
「宗鑑と芭蕉」と題して菊池寛記念館文芸講座(7月12日)で講ずるに当たり、急遽本巻を展開させて
いただいたことにただただ感謝するばかりです。それまでにもう少し自己研鑽しなければ受講者に申し訳
ありません。5月22日付け四国新聞文化欄には年間計画が掲載され身の引き締まる思いです。
まずは、その基礎資料としてこの両吟を公開解説することになります。曲がりなりにも文芸作品でしょ
うか。共作・共詠であります。いわゆる「捌」という連句特有用語で、俳号不遜さんが捌です。右も左も
分からぬ俳号宣長は私めであります。役柄の念を押せば「芭蕉役=不遜」「宗鑑役=宣長」ということで
す。(5月23日・宣長)
ネット連句では、下野と讃岐といわず地球規模で、この種のバーチャルものを瞬時にして行うことができ
るであろう。また、今回のように、タイムスリップして、それぞれが、それぞれのロールブレイに徹し、
この種のバーチャルものを瞬時にして行うことができるであろう。今回のバーチャルものは、その試行
として、いろいろの示唆を与えてくれた。と同時に、連句の基本は両吟にあることも身をもって実感し
た。(不遜)
(参考)
発句 有難き姿拝まんかきつばた 芭蕉 (『『泊船集』所収「猿雖宛書簡」)
☆「山崎宗鑑屋敷、近衛殿の『宗鑑が姿を見れば餓鬼つばた』と遊ばしけるを思ひ出でて」の前書きあ
り。
脇 呑んとすれど夏の沢水 宗鑑(『雑談集』)
☆「宗鑑が姿を見れば餓鬼つばた」の付句。
第三 いざさらば雪見にころぶ所まで 芭蕉 (『花摘』)
☆貞享四年(一六八七)作。『阿羅野』・『笈の小文』では「いざ行(ゆか)む」の句形。
四 つんぬめりたる恋のみち(『新撰犬筑波集』)
☆かつて宗鑑は山崎に隠棲していたとき、竹薮の繁茂していたのを利用して竹の油筒を作り暮らしの糧にしていたという。
五 名月や池をめぐりて夜もすがら 芭蕉(『孤松』)
☆貞享三年(一六八六)作。其角の『雑談集』にも収載されている。
六 三星になる酒のさかづき/七夕も子をもうけてや祝ふらん(『新撰犬筑波集』・付合〉
☆《注釈》三つ星の形に酒の杯が並ぶことだ。…夫婦星の七夕も子供ができたので、親子三人で三つ星の
形に並んでそのお祝いをしているのだろうか。七夕に子を産ませた面白さ。
ウ一 菊の香や奈良には古き仏達 芭蕉(『笈日記』)
☆元禄七年(一六九四)九月九日作。芭蕉は奈良で重陽の節句を迎えるために、九月八日に伊賀をたった。
ウ二 ひらりと坂を逃ぐる奈良稚児/般若寺の文殊四郎が太刀抜きて(『新撰犬筑波集』・付合〉
☆《注釈》(前句)ひらりとかわし、坂を逃げて行く奈良の稚児。 (付句)般若寺の文殊四郎(有名な刀鍛
冶)が刀を抜いて襲って来たものだから。いや、実は本尊の文殊師利(尻)でなく、坊主が稚児の尻めがけ
て大きな抜身で追い回している。
ウ三 初恋に文書(かく)すべもたどたどし(鼓蟾)/世につかはれて僧のなまめく(芭蕉)(『一葉
集』所収歌仙「あなむざんやな」付合)
☆《注釈》(前句)初恋のラブレターの文もたどたどしい。(付句)僧というのは世俗に超然としている
ものなのに、その若い僧は初恋でなまめいている。『おくのほそ道』の「小松」での「あなむざんや」歌
仙の芭蕉の恋句。
ウ四 及ばぬ恋をするぞをかしき/われよりも大若俗に抱きついて(『新撰犬筑波集』・付合〉
☆《注釈》(前句)身分不相応で成就できそうもない人に恋するなどおかしなことだ。(付句)及ばぬと言っても、身分のことではなく、背丈のことさ。大若俗相手では無理。この場面は女色から男色への転じ方の面白さがねらい。
ウ五 古池や蛙飛びこむ水の音 芭蕉(『蛙合』)
☆貞享三年(一六八六)作。正風開眼の句として名高い。
ウ六 反笠檜笠顔見合わせて(『俳諧二ツ笠』)
☆『俳諧二ツ笠・序』に竹阿が「二師を仰がば、その鑑師は反笠を愛し、芭蕉は檜笠を愛し給ふ」とあり。
ウ七 鷹一つ見付けてうれし伊良古崎(『笈の小文』)
☆貞享四年(一六八七)作。芭蕉の男色説の一人の尾張蕉門の俳人・杜国を訪ねての句(この鷹は杜国とも)。
ウ八 ひろうして見ぬ冬の夜の月/夕しぐれ晴間ぞ脱げや高野笠)(『新撰犬筑波集』付合)
☆《注釈》(前句)ひろうしてよく見渡せない冬の夜の月。(「ひろう」は意味不明。この句、難解)
(付句)夕時雨もやんで晴れ間になったことだし、大きな高野笠を脱いであの月を見よ。
ウ九 草臥れて宿かる頃や藤の花 (『笈の小文』)
☆貞享五年(一六八八)作。『笈日記』には「おなじ年の春にや侍らむ、故主蝉吟公の庭前にて」の前書きあり。
ウ十 阿弥陀経をや奪ひあひぬらん/聖霊がなまとぶらひの宿に来て(『新撰犬筑波集』付合)
☆《注釈》(前句)阿弥陀経を奪い合ったことであろう。(付句)その家の死霊が弔いの怠りがちな宿に来て
(このままでは極楽往生も心もとない)。
ウ十一 髪はえて容顔蒼し五月雨 芭蕉(『続虚栗』)
☆貞享四年(一六八七)作。「自詠」の前書きあり。芭蕉の自画像の一句である。
ウ十二 桜がもとに寝たる十穀/春の夜の夢の浮橋の勧めして(『新撰犬筑波集』付合)
☆《注釈》(前句)桜の花のもとで寝ている十穀聖(穀物を食せぬ精進聖・弘法大師もそれ)。(付句)春の夜
の夢の中で浮橋の勧進(寄付集め)をして(ボランティア活動)。
ナオ一 花の頃御免あれかし松の風(『新撰犬筑波集』)
☆《注釈》松風は風流なものだが、花盛りの頃はせっかくの花も散ってしまうので、ゴメン。
ナオ二 山路来てなにやらゆかしすみれ草 芭蕉(『野ざらし紀行』)
☆貞享二年(一六八五)作。『野ざらし紀行』では「大津に出づる道」の作とされているが、実際は熱田の日本武尊の白鳥山での作。
ナオ三 追ひつかん追ひつかんとや思ふらん/高野聖の跡の槍持ち(『新撰犬筑波集』付合)
☆《注釈》(前句)追いつこう追いつこうと思っているのだろう。(付句)槍持ちは笈を背負って、高野聖の後を追いつこうとしている。『宗長日記』には「この句宗鑑」とあり、ほぼ宗鑑作とみられる。宗長は同じ前句に「高野聖のさきの姫ごぜ」と付けて「愚句心付まさり侍らん哉」と記しているが、俳諧としては宗鑑の方が 面白い。
ナオ四 ものひとつ瓢はかろき我が世かな (『四山集』)
☆貞享三年(一六八六)の作か。この瓢は芭蕉庵の米入れの瓢箪。山口素堂が「四山」と名付けられた。
ナオ五 地獄へは落ちぬ木の葉の夕べかな (『新撰犬筑波集』)
☆「宗祇十三回追善に」の前書きあり。《注釈》先達連歌師飯尾宗祇は、地獄へ決して落ちることなく(めでたく成仏している)ことはその連歌が示しているこの夕べであることよ。
ナオ六 世にふるもさらに宗祇のやどりかな 芭蕉(『虚栗』)
☆天和二年(一六八二)の頃の作。「手づからの雨のわび笠をはりて」の前書きあり。宗祇の「世にふるもさらに時雨のやどりかな」の「時雨」を「宗祇」と言い替えた「本句取り」の句である。さらに、宗祇のこの句は、二条院讃岐の「世にふるは苦しきものを真木の屋にやすくも過ぐる初時雨かな」の「本歌取り」の句である。
ナオ七 額のしはす寄り合ふを見よ/行く年をうばとおほぢや忘るらん(『新撰犬筑波集』付合)
☆《注釈》(前句)師走になると苦労なことが多いので、額のしわが寄り合うものですね。(付句)そうではなく、忘年会で嫗と翁が仲良く額を寄せ合っているのですよ。この付合、冬の句を恋句めいたものにうまく転じている。
ナオ八 姥桜さくや老後の思い出(いで) 芭蕉(『佐夜中山集』)
☆寛文四年(一六四四)、芭蕉二十一歳の作。『佐夜中山集』は、本歌取りの句作を新風として強調するところに特徴がある句集。
ナオ九 無しと答へて帰す山寺/入逢のかねてはまつと言ひしかど(『新撰犬筑波集』付合)
☆《注釈》(前句)無い、と答えて訪ねてきた人を帰す山寺。(付句)入逢の鐘の鳴る頃、来るのを待っているよとかねて約束したのに。種彦本では雑の部、袋中本では恋の部にある。なお、「種彦本」は柳亭種彦筆校本。東京大学洒竹文庫蔵。「袋中本」は京都檀王法林寺蔵。袋中筆本。
ナオ十 上おきの干葉刻むもうはの空(野坡)/馬に出ぬ日は内で恋する(芭蕉)(『炭俵』所収歌仙「振売りの」付合)
☆元禄六年(一六九三)作。この芭蕉の付句は「馬方は仕事に出ない日はいつもうちに籠って色事にふけっている」。芭蕉はまぎれもなく宗鑑の系譜である。
ナオ十一 十王堂に秋風ぞ吹く/浄玻璃の鏡に似たる月出でて(『新撰犬筑波集』付合)
《注釈》(前句)十王堂に秋風が吹いている。(付句)折から、閻魔堂の使う浄玻璃の鏡に似た月が空に輝いている。
(補説)ここで「十王堂」とは、閻魔大王を祭ったお堂で「閻魔堂」とも言う。一夜庵に隣接する観音寺・琴弾八幡宮境内に「十王堂」の建物は今はないが、「十王堂」と称して親しまれている広場がある。一般に「十王堂」は『十王経』に説く冥界の十王を祭ったお堂で、その信仰は当時至るところにあったとも言われている。「浄玻璃」はもと水晶のこと。閻魔庁法廷にあって亡者が生前に犯した罪を映し出す鏡とされている。
ナオ十二 若葉して御目の雫ぬぐはばや(『笈の小文』)・あらたふと青葉若葉の日の光(『おくの細道』)
☆前句は貞享五年(一六八八)唐招提寺参詣の折の作。後句は元禄二年(一六八九)「おくのほそ道」の途次にあって日光東照宮での作。
ナウ 一 宗鑑はどちへと人の問ふあらばちと用ありてあの世へと言へ(宗鑑辞世の歌・伝承)
☆「秋十年却つて江戸を指す故郷」(芭蕉)。宗鑑忌=陰暦10月2日。【10日後】芭蕉忌(翁忌・桃青忌・時雨忌)=10月12日。
ナウ 二 秋十年却つて江戸を指す故郷 芭蕉 (『野ざらし紀行』)
☆天和四年(貞享元年・一六八四)の作。寛文十二年(一六七二)の江戸出府から十二年目、延宝四年(一六七八)の帰郷から九年目で、この十年(ととせ)は概数。この「却つて」という語に、非定住を決意した作者の未練がほの見えるか。
ナウ 三 ☆宗鑑の「故郷近江国草津→京阪山崎→讃岐国一夜庵」という単線的「西下」への想い。
ナウ 四 この秋は何で年寄る雲に鳥 芭蕉(『笈日記』)
☆元禄七年(一六九四)の作。九月二十六日の、「この道や行く人なしに秋の暮」、そして、この「旅懐」と前書きのある「この秋は何で年寄る雲に鳥」、二十八日の「秋深き隣は何をする人ぞ」の句、これらの句が、『笈日記』の絶唱三章として綴られている。芭蕉は、この芭蕉最後の旅にあって、その健康が
定かでない中にあって、「憂い・老懶」の真っ直中にあって、「何で年寄る」と完全な俗語の呟きをもっ
て、「雲に鳥」と、連歌以来の伝統の季題の、「鳥雲に入る」・「雲に入る鳥」・「雲に入る鳥、春也」
と、次に来る「春」を見据えている。
ナウ 五 ☆「二ツ笠」は初裏六に既出の「反笠」「檜笠」を指す。即ちそれを被っているのは、俳祖宗
鑑・俳聖芭蕉であって、これを「二ツ笠」と称したのは二六庵竹阿(一茶の師匠)。宗鑑終焉地というゆか
りあればどうしてもこの人を疎かにはできず、また一方では普遍性ある芭蕉の正風を大切にしなければな
らない。二者択一ではなく、両者を共に受け容れる包容力を竹阿が訴えている。
挙句 旅に病んで夢は枯野をかけめぐる 芭蕉 (『笈日記』)
☆芭蕉の最後の吟である。芭蕉は元禄七年(一六九四)十月十二日、「死顔うるはしく」眠るように逝っ
た。芭蕉は九月二十九日の夜から病床につくのであるが、この絶吟ともいえる句は、十月八日の夜、呑
舟に墨をすらせて、「病中吟 旅に病んで夢は枯野をかけめぐる 翁」とお書せになり、支考を呼ばれ
て、「なほかけめぐる夢心」とも作ったが、「どちらか」とたずねられた。そして、生死の転変を前にし
て、なお、こんなことに迷うのは、仏教では妄執というのだろうが、この一句で生前の俳諧を忘れようと
思う、とおしゃった。翁に辞世はなかった。この「病中の吟」は辞世の吟ではない。旅に病んで、なお、
旅の途上にある自己の実存を夢見ていたのであった。
(追記)なかなか立派な参考データですね。これが実質的な「留め書き」ですね。と同時に、宣長
さんの「レジメ」の基礎資料にもなれば、一石三鳥ということかも。まずは、メデタシ、メデタシ。
バーチャル百韻「水無瀬乱吟」 [バーチャル連句]
バーチャル百韻「水無瀬乱吟」
平成十八年 八月二十八日
平成十八年十一月二十八日
(表)
発句 雪ながら水無瀬の山は霞みけり 兎 春
脇 村里遠く匂ふ梅が香 蘭 春
第三 四阿の蔓薔薇越しに春みえて 奴 春
四 船さす音もほそきあけぼの 光 雑
五 月やなほ田中の径を照らすらん 修 秋月
六 霜置く石原秋は暮れけり 白 秋
七 鳴く虫の願い激しく草枯れて 智 秋
八 垣根のぞけばあらはなるかほ 朱 雑
(初裏)
九 堀深き宮や嵐におくるらん 狸 雑
十 隠有り東家狭窓に憂ふ 侘 雑
十一 いまさらに一人もなしと思うなよ 奴 雑
十二 気移りにわか微微も知らずや 倭 雑
十三 待ちわぶる花こそつゆの命なれ 蘭 春花
十四 ゆらゆら野辺にうち霞む影 兎 春
十五 春暮れぬ一声あげて北帰行 光 春
十六 深山を行けばわく秘湯あり 奴 雑
十七 古むつき時雨の宿に隠し干し 智 秋
十八 青春の夢月もやつれて 修 秋月
十九 喘鳴の音聞き明かす夜秋の暮れ 侘 秋
二十 さうなで念ず荻の上風 狸 秋
二十一 逢えしみな故郷薫す和しあり 倭 雑
二十二 老いの行方を誰に尋ねん 光 雑
(二表)
二十三 埒もなき繰言燻べあわれ知れ 奴 雑
二十四 それも人生夕暮の空 修 雑
二十五 けふもまた花盗びとの番をして 蘭 春花
二十六 もう行っちゃうの春のかりがね 智 春
二十七 おぼろなる月仲なれど去らんでと 侘 春月
二十八 やしろのあきの悠ししののめ 狸 秋
二十 九霧立ちし末野の里に汀女来る 兔 秋
三十 風威砧音 槇葉鳴鳴 倭 秋
三十一 さゆる日も頭は冴えず年毎に 奴 秋
三十二 頼むは眼ゴミ拾う山 光 雑
三十三 さりとても此の道のほかみちはなし 蘭 雑
三十四 晋三ぼうやいづちゆかまし 修 雑
三十五 きぬぎぬになりし愛娘逢い願ふ 侘 雑
三十六 私の気持ちどうにもならない 智 雑
(二裏)
三十七 あかず夜に古地の君へ気馳せらん 倭 雑
三十八 朝起きて知る死者の面影 兔 雑
三十九 草生ふる大霊界の浦廻にて 狸 雑
四十 名もなき宿も御守りを売れ 奴 雑
四十一 たらちねの眉の白きもあはれなり 光 雑
四十二 越後の山河夢に見るらむ 蘭 雑
四十三 此の世では他力の教かぎりにて 修 雑
四十四 輪廻止む法釈迦に聞かばや 侘 雑
四十五 寝て覚めて露の数ほど逢いたくて 智 秋
四十六 頼めど誰も過ぐる秋風 倭 秋
四十七 目つむりてひとまつ虫を聴きてをり 兔 秋
四十八 捜索のやま月のみぞすむ 狸 秋月
四十九 核に我たゞあらましのニュース見て 奴 雑
五十 北に早や降る夜な夜なの霜 光 冬
(三表)
五十一 あし枯れていろなき浦に孤鶴立つ 蘭 冬
五十二 摂理のままに遊ぶふな人 修 雑
五十三 ゆくえなき煙霞の国は罪はてる 侘 春
五十四 先行き見えぬ半島の春 智 春
五十五 山壁の青葉圧しして花おちて 倭 春花
五十六 露けし山路しばし歩を止め 兎 秋
五十七 筑波何ど時雨ぬるとも帰るらん 狸 秋
五十八 錆びた車に月はなれけり 奴 秋月
五十九 心あり在りし日語るホームレス 光 雑
六十 藻屑ひろへば舟いづるみゆ 蘭 雑
六十一 朝なぎの空にきらめく米軍機 修 雑
六十二 日本海へと雪さやぬけゆく 侘 冬
六十三 遠嶺の裸木の影いとしくて 智 冬
六十四 番飛び立ち流る蘆風 倭 雑
(三裏)
六十五 いくたびか朝の別れをかさねまし 修 雑
六十六 問へど答えぬ月ぞかなしき 朱 秋月
六十七 露と霜メール邪魔する秋の朝 光 秋
六十八 留守家のすゝき枯れまくもをし 奴 秋
六十九 うづら鳴くかたやきそばを喰ひし日に 狸 秋
七十 神田の里で古書を商ふ 兎 雑
七十一 ジャズ喫茶待ちて想ひはSOFTJAZZ 倭 雑
七十二 拗ねて見せるもほんの一瞬 智 雑
七十三 君仕草また生憎の恋惑ひ 侘 雑
七十四 このやるせなさ世さへ恨めし 修 雑
七十五 デルスーの高貴なこころしらざらん 蘭 雑
七十六 草葉踏みわけ訪う人もなし 光 夏
七十七 返す田や備後の国の出目金氏 白 春
七十八 山は霞まぬジムのくれがた 狸 春
(名残表)
七十九 鴬の去りて一夜のあくびかな 光 春
八十 華の小夜子はしぐさ静香似 蘭 春
八十一 夜桜に顔をそむけて動かざる 紫 春花
八十二 空の手枕夢覚めうるむ 侘 雑
八十三 燃えさかる思いも日々に灰となり 智 雑
八十四 機、極まりて山へ移りゆ 倭 雑
八十五 身を隠すいとまもなしに警吏来る 兎 雑
八十六 籠の仕掛けにかかる熊の子 狸 雑
八十七 松坂をただ東西の走狗にて 奴 雑
八十八 吉良邸うらは敵か味方か 蘭 雑
八十九 我が庵は何事もなく秋の夜 修 秋
九十 有明月に雁わたりゆく 智 秋月
九十一空沁む露 紅紫や映えし寺の萩 倭 秋
九十二 流れる雲に心なる人 光 雑
(名残裏)
九十三 夢うつつ限りの灯燃え消えぬ 侘 雑
九十四 耳を澄ませば永久のシャンソン 兎 雑
九十五 仏性は皆備はるも出で難し 蘭 雑
九十六 曇りガラスに春風ぞふく 奴 春
九十七 草枕いく霜過ぎて朝霞 光 春
九十八 おぼろに見ゆる美しい国 修 春
九十九 うつし世におのれのみはと身を正し 智
百 柳が本にSHINがはじける 狸
(余興)
百一 おもしろき格技のごときタッグマッチ水無瀬乱吟終了の笛 兎
百二 月下花 華やに闇降つ世の移り静動辿るば彩なす百韻 倭
(留め書き)
連歌・俳諧も「交響」(響き合い)ということが基本で、
名ガイド(「風雅堂」)の解説にあった「二度ネタ厳禁」ということを再確認した。
兎
(参考)
水無瀬三吟何人百韻
長享二年正月二十二日
雪ながら山もと霞む夕べかな 宗祇
行く水遠く梅匂う里 肖柏
川風にひとむら柳春みえて 宗長
船さす音もしるき明け方 祇
月やなほ霧渡る夜に残るらん 柏
霜置く野原秋は暮れけり 長
鳴く虫の心ともなく草枯れて 祇
垣根をとへばあらはなる道 柏
〔初裏〕
山深き里や嵐におくるらん 長
慣れぬ住まひぞ寂しさも憂き 祇
いまさらに一人ある身を思うなよ 柏
移ろはむとはかねて知らずや 長
置きわぶる露こそ花にあはれなれ 祇
まだ残る日のうち霞むかげ 柏
暮れぬとや鳴きつつ鳥の帰るらん 長
深山を行けばわく空もなし 祇
晴るる間も袖は時雨の旅衣 柏
わが草枕月ややつさむ 長
いたずらに明かす夜多く秋ふけて 祇
夢に恨むる荻の上風 柏
見しはみな故郷人の跡もなし 長
老いの行方よ何にかからむ 祇
〔二表〕
色もなき言の葉にだにあはれ知れ 柏
それも友なる夕暮の空 祇
雲にけふ花ちりはつる嶺越えて 長
きけば今はの春のかりがね 柏
おぼろげの月かは人も待てしばし 祇
かりねの露の秋の明けぼの 長
末野なる里ははるかに霧立ちて 柏
吹きくる風はころもうつ聲 祇
さゆる日も身は袖うすき暮毎に 長
たのむもはかなつま木とる山 柏
さりともの此の世の道はつきはてて 祇
心ぼそしやいづちゆかまし 長
命のみ待つことにするきぬぎぬに 柏
なほ何なれや人の戀しき 祇
〔二裏〕
君を置きてあかずも誰をおもふらん 長
そのおもかげににたるだになし 柏
草木さへふるき都の恨みにて 祇
身のうき宿も名殘りこそあれ 長
たらちねのとほからぬ跡になぐさめよ 柏
月日の末や夢にめぐらむ 祇
此の岸をもろこし舟のかぎりにて 長
又生まれこぬ法をきかばや 柏
あふまでとおもひの露の消え歸り 祇
身を秋風も人だのめなり 長
松むしのなく音かひなきよもぎふに 柏
しめゆふ山は月のみぞすむ 祇
鐘に我たゞあらましのね覚めして 長
いたゞきけりな夜な夜なの霜 柏
〔三表〕
冬がれのあしたづわびてたてる江に 祇
夕しほ風のとほつ舟人 柏
行方なき霞やいづくはてならん 長
くるかた見えぬ山ざとのはる 祇
茂みよりたえだえ殘る花おちて 柏
木の本わくるみちの露けさ 長
秋はなどもらぬ岩やも時雨るらん 祇
こけの袂も月はなれけり 柏
心あるかぎりぞしるきよすて人 長
をさまる波に舟いづる見ゆ 祇
朝なぎの空に跡なき夜の雲 柏
雪にさやけき四方のとほ山 長
嶺の庵木の葉ののちも住みあかで 祇
さびしさならふ松風の聲 柏
〔三裏〕
か此のあかつきおきをかさねまし 長
月はしるやの旅ぞかなしき 祇
露ふかみ霜さへしをる秋の袖 柏
うす花すゝきちらまくもをし 長
うづらなくかた山暮れてさむき日に 祇
野となる里もわびつゝぞすむ 柏
かへりこば待ちしおもひを人やみん 長
うときもたれかこゝろなるべき 祇
むかしよりたゞあやにくの戀の道 柏
わすられがたき世さへうらめし 長
山がつになど春秋のしらるらん 祇
植ゑぬ草葉のしげき柴の戸 柏
かたはらにかきほのあら田返しすて 長
行く人かすむ雨のくれがた 祇
〔名残表〕
やどりせん野を鶯やいとふらん 長
小夜もしづかにさくらさくかげ 柏
灯をそむくる花に明けそめて 祇
たが手枕にゆめはみえけん 長
契りはやおもひたえつつ年もへぬ 柏
いまはのよはひ山もたづねじ 祇
かくす身を人はなきにもなしつらん 長
さても憂き世にかかる玉のを 柏
松の葉をただ朝ゆふのけぶりにて 祇
浦わの里はいかにすむらん 長
秋風のあら磯まくら臥しわびぬ 柏
雁なく山の月ふくる空 祇
小萩原うつろふ露もあすやみむ 長
あだのおほ野を心なる人 柏
〔名残裏〕
忘るなよ限りやかはる夢うつつ 祇
おもへばいつを古にせむ 長
仏たちかくれては又いづる世に 柏
枯れし林も春風ぞふく 祇
山はけさいく霜夜にかかすむらん 長
けぶりのどかに見ゆるかり庵 柏
いやしきも身ををさむるは有つべし 祇
人をおしなべ道ぞただしき 長
平成十八年 八月二十八日
平成十八年十一月二十八日
(表)
発句 雪ながら水無瀬の山は霞みけり 兎 春
脇 村里遠く匂ふ梅が香 蘭 春
第三 四阿の蔓薔薇越しに春みえて 奴 春
四 船さす音もほそきあけぼの 光 雑
五 月やなほ田中の径を照らすらん 修 秋月
六 霜置く石原秋は暮れけり 白 秋
七 鳴く虫の願い激しく草枯れて 智 秋
八 垣根のぞけばあらはなるかほ 朱 雑
(初裏)
九 堀深き宮や嵐におくるらん 狸 雑
十 隠有り東家狭窓に憂ふ 侘 雑
十一 いまさらに一人もなしと思うなよ 奴 雑
十二 気移りにわか微微も知らずや 倭 雑
十三 待ちわぶる花こそつゆの命なれ 蘭 春花
十四 ゆらゆら野辺にうち霞む影 兎 春
十五 春暮れぬ一声あげて北帰行 光 春
十六 深山を行けばわく秘湯あり 奴 雑
十七 古むつき時雨の宿に隠し干し 智 秋
十八 青春の夢月もやつれて 修 秋月
十九 喘鳴の音聞き明かす夜秋の暮れ 侘 秋
二十 さうなで念ず荻の上風 狸 秋
二十一 逢えしみな故郷薫す和しあり 倭 雑
二十二 老いの行方を誰に尋ねん 光 雑
(二表)
二十三 埒もなき繰言燻べあわれ知れ 奴 雑
二十四 それも人生夕暮の空 修 雑
二十五 けふもまた花盗びとの番をして 蘭 春花
二十六 もう行っちゃうの春のかりがね 智 春
二十七 おぼろなる月仲なれど去らんでと 侘 春月
二十八 やしろのあきの悠ししののめ 狸 秋
二十 九霧立ちし末野の里に汀女来る 兔 秋
三十 風威砧音 槇葉鳴鳴 倭 秋
三十一 さゆる日も頭は冴えず年毎に 奴 秋
三十二 頼むは眼ゴミ拾う山 光 雑
三十三 さりとても此の道のほかみちはなし 蘭 雑
三十四 晋三ぼうやいづちゆかまし 修 雑
三十五 きぬぎぬになりし愛娘逢い願ふ 侘 雑
三十六 私の気持ちどうにもならない 智 雑
(二裏)
三十七 あかず夜に古地の君へ気馳せらん 倭 雑
三十八 朝起きて知る死者の面影 兔 雑
三十九 草生ふる大霊界の浦廻にて 狸 雑
四十 名もなき宿も御守りを売れ 奴 雑
四十一 たらちねの眉の白きもあはれなり 光 雑
四十二 越後の山河夢に見るらむ 蘭 雑
四十三 此の世では他力の教かぎりにて 修 雑
四十四 輪廻止む法釈迦に聞かばや 侘 雑
四十五 寝て覚めて露の数ほど逢いたくて 智 秋
四十六 頼めど誰も過ぐる秋風 倭 秋
四十七 目つむりてひとまつ虫を聴きてをり 兔 秋
四十八 捜索のやま月のみぞすむ 狸 秋月
四十九 核に我たゞあらましのニュース見て 奴 雑
五十 北に早や降る夜な夜なの霜 光 冬
(三表)
五十一 あし枯れていろなき浦に孤鶴立つ 蘭 冬
五十二 摂理のままに遊ぶふな人 修 雑
五十三 ゆくえなき煙霞の国は罪はてる 侘 春
五十四 先行き見えぬ半島の春 智 春
五十五 山壁の青葉圧しして花おちて 倭 春花
五十六 露けし山路しばし歩を止め 兎 秋
五十七 筑波何ど時雨ぬるとも帰るらん 狸 秋
五十八 錆びた車に月はなれけり 奴 秋月
五十九 心あり在りし日語るホームレス 光 雑
六十 藻屑ひろへば舟いづるみゆ 蘭 雑
六十一 朝なぎの空にきらめく米軍機 修 雑
六十二 日本海へと雪さやぬけゆく 侘 冬
六十三 遠嶺の裸木の影いとしくて 智 冬
六十四 番飛び立ち流る蘆風 倭 雑
(三裏)
六十五 いくたびか朝の別れをかさねまし 修 雑
六十六 問へど答えぬ月ぞかなしき 朱 秋月
六十七 露と霜メール邪魔する秋の朝 光 秋
六十八 留守家のすゝき枯れまくもをし 奴 秋
六十九 うづら鳴くかたやきそばを喰ひし日に 狸 秋
七十 神田の里で古書を商ふ 兎 雑
七十一 ジャズ喫茶待ちて想ひはSOFTJAZZ 倭 雑
七十二 拗ねて見せるもほんの一瞬 智 雑
七十三 君仕草また生憎の恋惑ひ 侘 雑
七十四 このやるせなさ世さへ恨めし 修 雑
七十五 デルスーの高貴なこころしらざらん 蘭 雑
七十六 草葉踏みわけ訪う人もなし 光 夏
七十七 返す田や備後の国の出目金氏 白 春
七十八 山は霞まぬジムのくれがた 狸 春
(名残表)
七十九 鴬の去りて一夜のあくびかな 光 春
八十 華の小夜子はしぐさ静香似 蘭 春
八十一 夜桜に顔をそむけて動かざる 紫 春花
八十二 空の手枕夢覚めうるむ 侘 雑
八十三 燃えさかる思いも日々に灰となり 智 雑
八十四 機、極まりて山へ移りゆ 倭 雑
八十五 身を隠すいとまもなしに警吏来る 兎 雑
八十六 籠の仕掛けにかかる熊の子 狸 雑
八十七 松坂をただ東西の走狗にて 奴 雑
八十八 吉良邸うらは敵か味方か 蘭 雑
八十九 我が庵は何事もなく秋の夜 修 秋
九十 有明月に雁わたりゆく 智 秋月
九十一空沁む露 紅紫や映えし寺の萩 倭 秋
九十二 流れる雲に心なる人 光 雑
(名残裏)
九十三 夢うつつ限りの灯燃え消えぬ 侘 雑
九十四 耳を澄ませば永久のシャンソン 兎 雑
九十五 仏性は皆備はるも出で難し 蘭 雑
九十六 曇りガラスに春風ぞふく 奴 春
九十七 草枕いく霜過ぎて朝霞 光 春
九十八 おぼろに見ゆる美しい国 修 春
九十九 うつし世におのれのみはと身を正し 智
百 柳が本にSHINがはじける 狸
(余興)
百一 おもしろき格技のごときタッグマッチ水無瀬乱吟終了の笛 兎
百二 月下花 華やに闇降つ世の移り静動辿るば彩なす百韻 倭
(留め書き)
連歌・俳諧も「交響」(響き合い)ということが基本で、
名ガイド(「風雅堂」)の解説にあった「二度ネタ厳禁」ということを再確認した。
兎
(参考)
水無瀬三吟何人百韻
長享二年正月二十二日
雪ながら山もと霞む夕べかな 宗祇
行く水遠く梅匂う里 肖柏
川風にひとむら柳春みえて 宗長
船さす音もしるき明け方 祇
月やなほ霧渡る夜に残るらん 柏
霜置く野原秋は暮れけり 長
鳴く虫の心ともなく草枯れて 祇
垣根をとへばあらはなる道 柏
〔初裏〕
山深き里や嵐におくるらん 長
慣れぬ住まひぞ寂しさも憂き 祇
いまさらに一人ある身を思うなよ 柏
移ろはむとはかねて知らずや 長
置きわぶる露こそ花にあはれなれ 祇
まだ残る日のうち霞むかげ 柏
暮れぬとや鳴きつつ鳥の帰るらん 長
深山を行けばわく空もなし 祇
晴るる間も袖は時雨の旅衣 柏
わが草枕月ややつさむ 長
いたずらに明かす夜多く秋ふけて 祇
夢に恨むる荻の上風 柏
見しはみな故郷人の跡もなし 長
老いの行方よ何にかからむ 祇
〔二表〕
色もなき言の葉にだにあはれ知れ 柏
それも友なる夕暮の空 祇
雲にけふ花ちりはつる嶺越えて 長
きけば今はの春のかりがね 柏
おぼろげの月かは人も待てしばし 祇
かりねの露の秋の明けぼの 長
末野なる里ははるかに霧立ちて 柏
吹きくる風はころもうつ聲 祇
さゆる日も身は袖うすき暮毎に 長
たのむもはかなつま木とる山 柏
さりともの此の世の道はつきはてて 祇
心ぼそしやいづちゆかまし 長
命のみ待つことにするきぬぎぬに 柏
なほ何なれや人の戀しき 祇
〔二裏〕
君を置きてあかずも誰をおもふらん 長
そのおもかげににたるだになし 柏
草木さへふるき都の恨みにて 祇
身のうき宿も名殘りこそあれ 長
たらちねのとほからぬ跡になぐさめよ 柏
月日の末や夢にめぐらむ 祇
此の岸をもろこし舟のかぎりにて 長
又生まれこぬ法をきかばや 柏
あふまでとおもひの露の消え歸り 祇
身を秋風も人だのめなり 長
松むしのなく音かひなきよもぎふに 柏
しめゆふ山は月のみぞすむ 祇
鐘に我たゞあらましのね覚めして 長
いたゞきけりな夜な夜なの霜 柏
〔三表〕
冬がれのあしたづわびてたてる江に 祇
夕しほ風のとほつ舟人 柏
行方なき霞やいづくはてならん 長
くるかた見えぬ山ざとのはる 祇
茂みよりたえだえ殘る花おちて 柏
木の本わくるみちの露けさ 長
秋はなどもらぬ岩やも時雨るらん 祇
こけの袂も月はなれけり 柏
心あるかぎりぞしるきよすて人 長
をさまる波に舟いづる見ゆ 祇
朝なぎの空に跡なき夜の雲 柏
雪にさやけき四方のとほ山 長
嶺の庵木の葉ののちも住みあかで 祇
さびしさならふ松風の聲 柏
〔三裏〕
か此のあかつきおきをかさねまし 長
月はしるやの旅ぞかなしき 祇
露ふかみ霜さへしをる秋の袖 柏
うす花すゝきちらまくもをし 長
うづらなくかた山暮れてさむき日に 祇
野となる里もわびつゝぞすむ 柏
かへりこば待ちしおもひを人やみん 長
うときもたれかこゝろなるべき 祇
むかしよりたゞあやにくの戀の道 柏
わすられがたき世さへうらめし 長
山がつになど春秋のしらるらん 祇
植ゑぬ草葉のしげき柴の戸 柏
かたはらにかきほのあら田返しすて 長
行く人かすむ雨のくれがた 祇
〔名残表〕
やどりせん野を鶯やいとふらん 長
小夜もしづかにさくらさくかげ 柏
灯をそむくる花に明けそめて 祇
たが手枕にゆめはみえけん 長
契りはやおもひたえつつ年もへぬ 柏
いまはのよはひ山もたづねじ 祇
かくす身を人はなきにもなしつらん 長
さても憂き世にかかる玉のを 柏
松の葉をただ朝ゆふのけぶりにて 祇
浦わの里はいかにすむらん 長
秋風のあら磯まくら臥しわびぬ 柏
雁なく山の月ふくる空 祇
小萩原うつろふ露もあすやみむ 長
あだのおほ野を心なる人 柏
〔名残裏〕
忘るなよ限りやかはる夢うつつ 祇
おもへばいつを古にせむ 長
仏たちかくれては又いづる世に 柏
枯れし林も春風ぞふく 祇
山はけさいく霜夜にかかすむらん 長
けぶりのどかに見ゆるかり庵 柏
いやしきも身ををさむるは有つべし 祇
人をおしなべ道ぞただしき 長