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前田雀郎句集『榴花洞日録』全句鑑賞(その五) [前田雀郎]

前田雀郎句集『榴花洞日録』全句鑑賞(その五)

五月

一〇六 物売りの声の古さも五月晴

【鑑賞】季語=「五月晴」(夏)。「五月晴」は本来は梅雨の晴れ間のこと。一般には五月の好天のことをいい、ここも後者の意を取る。万太郎の句に「雨の音空にきこえて夏に入る」(『久保田万太郎全句集』)。句意=五月晴れの日、その日にふさわしく何処からか昔のままの物売りの声が聞こえてくる。

一〇七 狂人(きちがひ)に恰度(ちょうど)躑躅(つつじ)の花ざかり

【鑑賞】季語=「躑躅」(春)。「躑躅」は春から夏にかけて咲く花。ここの「躑躅咲く」とは「躑躅燃ゆ」という感じ。万太郎の句に「ふりぬきし雨のあと咲くつゞじかな」(『久保田万太郎全句集』)。句意=真っ赤に燃えた躑躅、それはまるで狂人の狂える如くの真っ赤かである。

一〇八 起重機のあたり素直に日が暮れる

【鑑賞】雑。「起重機」はクレーンのこと。建築現場などの景。万太郎の変わった句に「高度二万フィートの空にえたる月」(『久保田万太郎全句集』)。句意=建築現場の高いクレーンの先あたりを見ていると、その先あたりからおだやかに日が暮れて行く。

一〇九 学校を出て幾年や中禅寺

【鑑賞】雑。「中禅寺」は日光の男体山の麓の中禅寺湖。『誹諧武玉川』の句に「古郷恋しくうたふ足軽」(一二篇)。句意=久しぶりに中禅寺湖に来ている。学校の修学旅行などで来た以来だ。さて、あれから幾年が過ぎたことか。

一一〇 男同士何ぞと云へば汽車に乗り

【鑑賞】雑。『誹諧武玉川』の句に「三人寄れバ毒な夕暮」(七篇)。句意=男といえば、何かと理由をつけて、徒党を組んで、汽車で遠出をしてしまう。

一一一 ゆふべけは算盤球の右左り

【鑑賞】雑。今や算盤も電卓に代わってしまった。「ゆふべけは」は「云ふべけは」・「結うべけは」・「夕べけは」といろいろに取れるが、商いに関連しての景と解して「云うべけは」での意での句意としたい。『誹諧武玉川』の句に「算盤へ乗せれば人も怖い物」(五篇)。句意=言うべきかどうか、算盤球の、その右、いや、左と、一桁違うのではないかと。

一一二 退屈に握った米をもてあまし

【鑑賞】雑。この句も米屋などでの一情景なのかも知れない。『誹諧武玉川』の句に「米相場その夜上がりて富士の雪」(五篇)。句意=閑をもてあまして、何気なく米を一握りして、さて、次にどうしたら良いものなのかと、ふと戸惑った。

一一三 金で済む事をさびしく聞いてゐる

【鑑賞】雑。金のないことの悲哀の句。『誹諧武玉川』の句に「遣(つか)ツても溜めても金ハ面白い」(一〇篇)。句意=お金で済むことなのに、お金がないので、黙って淋しくぽつねんと黙って聞いているほかないのです。

一一四 掌(てのひら)の儚きものを空頼み

【鑑賞】雑。この句には「『街の灯』を見る」との前書きがある。その映画などを見ての雀郎の感慨の句。『誹諧武玉川』の句に「金のない方に涙を封じこめ」(五篇)。句意=藁にもすがたりたいに心境で、手には空証文のような儚いもの握りしめ、一生懸命祈っても、所詮、それは空頼みに終わってしまうだろうか。

一一五 味噌汁を恋しがる日は真人間

【鑑賞】雑。雀郎の「おかしみ」(滑稽)の句。『誹諧武玉川』の句に「真(ま)じめに成るが人の衰へ」(三篇)。句意=味噌汁が旨いなあと恋しがる日は、呑みすぎたふしだらな日ではなく、正真正銘の真人間の日だ。

一一六 鼻唄でゐるさびしさを羨やまれ

【鑑賞】雑。これも「おかしみ」(滑稽)の句。そして、そこに一抹の悲哀感が漂う。『誹諧武玉川』の句に「はね付(つけ)られて口笛を吹く」(七篇)。句意=淋しさにまぎれて鼻唄をしてしらばくれている。ところが、他人は、その鼻唄を額面とおりに受け取って羨ましいというのだ。

一一七 抱き上げて赤ん坊の眼のたよりなし

【鑑賞】雑。「赤ん坊の眼のたよりなし」とその一瞬の把握が凄い。『誹諧武玉川』の句に「行水をして子を軽く抱(だき)」(四篇)。よく赤ん坊は抱き上げられる。句意=赤ん坊を抱き上げたら、なれない性か、一瞬不安そうな目をした。

一一八 父の子になる約束も兄貴顔

【鑑賞】雑。「次男生る」の前書きがある。『誹諧武玉川』の句に「ひとり宛(ずつ)子の戻る黄昏」(七篇)。昔の子はよく外で遊んだし、兄弟も多く、兄貴の権限は強かった。句意=次男が生まれたら、お父さんの言うことをよく聞く約束を守って、もう兄貴顔をしている。

一一九 身につかぬ赤子の声にある寝覚

【鑑賞】雑。『誹諧武玉川』の句に「赤子を抱(だけ)ばかゆい手のひら」(一二篇)。赤子は可愛いものだが、なかなか扱い難いもの。句意=どうにも赤子の声はまだ馴染めない。何時も、その声で起こされてしまう。ネムイナー。

一二〇 何所やらで子が泣いてゐる帰り途

【鑑賞】雑。『誹諧武玉川』の句に「振向(ふりむ)けば笑ふ捨子の哀れにて」(一四篇)。この捨子の笑いは無情の景である。句意=勤めからの帰り途、何処やらで赤子の泣き声が聞こえてくる。うちのも泣いているのだろうか。

一二一 譯(わけ)のないことを日曜まで延し

【鑑賞】雑。『誹諧武玉川』の句に「雪隠を戻れバもとの物わすれ」(四篇)。人間の一面をついている。句意は=やれば訳なくできるものを、ついつい、日曜日まで延ばしてしまった。

一二二 少うしは嘘を覚えた女房ぶり

【鑑賞】雑。『誹諧武玉川』の句に「女房に持て見れば皆(みんな)夢」(一〇篇)。女房というものは不思議なものである。句意=全然、嘘をつけなかった内儀さんも、何時の間にか、少しは嘘をつくようになりました。

一二三 半襟を拭きつしあはせなど思ひ

【鑑賞】雑。『誹諧武玉川』の句に「手を引いた女別れるにハたづみ」(三篇)。この「にわたずみ」は水溜まりのこと。とにかく、仲が良いのだろう。句意=半襟などを拭くなどして、少しは、新婚の幸せに浸る一時もあります。

一二四 指のトゲ抜いて貰ふに人があり

【鑑賞】雑。『誹諧武玉川』の句に「背中をかいて貰ふ蟹喰(かにくい)」(一一篇)。句意=指のトゲを抜くのに、自分ではなく、女房という人さまに頼めるようになりました。

一二五 曲り角情け知らずの帯が見え

【鑑賞】雑。『誹諧武玉川』の句に「帯した妾明るみへ出る」(三篇)。雀郎の帯の女性はどんな女性なのだろうか。句意=その曲がり角でチラット何時もの女将の帯が見えました。寄らねばなるまい。

一二六 酒のめばきのふはけふの一むかし

【鑑賞】雑。「倣西鶴」との前書きがある。『誹諧武玉川』の句に「面白く酔ふ女房には子がくて」(九篇)。句意=酒が入れば、西鶴の『好色一代男』の世之介ではないけれども、「昨日は今日の一日前ではなく、ひと昔前」ということになる。

一二七 あてのない約束をして日が暮れる

【鑑賞】雑。『誹諧武玉川』の句に「置所なき暮(くれ)の大名」(四篇)。「あてのない」と「置き所ない」も大差がないであろう。句意=どうでもよい、「あてのない約束をして日が暮れる」。どうにもいい加減な男ヨー。

一二八 女房の眼の先にあるケチな晩

【鑑賞】雑。『誹諧武玉川』の句に「時雨るゝ空に赤い吉原」(九篇)。女房の目を盗みたいことでもあるのだろう。句意=どうにも、今晩サンは、女房の目が気になる日でして、どうにもケチな夜ということですね。

一二九 夜眠るその枕さへ人臭く

【鑑賞】雑。『誹諧武玉川』の句に「日に干せば尼の枕も人くさし」(五篇)。これは武玉川の傑作句である。「人臭い」というのは人間だという意味であろう。句意=人に会うのが億劫で、家に帰ってきたのに、この枕まで人臭く、やりきれません。

一三〇 涙とは冷めたきものよ耳に落つ

【鑑賞】雑。『誹諧武玉川』の句に「こしかたを思ふなみだの耳に入リ」(一三篇)。「涙とは冷めたきものよ」。雀郎も「来し方」を思っていたのか。句意=寝ている耳に、悲しみの涙が伝わってくる。

一三一 しみじみ(※)と夫婦になつて病みつづけ

【鑑賞】雑。『誹諧武玉川』の句に「病上(やみあが)り笑(わらつ)て寺の土を踏(ふみ)」。この笑いが出てくるようだと良いのだが。句意=しみじみと思うのに夫婦になってもずうと病みつづけ、あいつにも苦労をかけたな。

一三二 人魂にまだ人の立つ宵の口

【鑑賞】雑。『誹諧武玉川』の句に「夜鰹に手燭の持人(もちて)のうつくしき」(六篇)。明るさというのは、情景を一変させる。句意=夜になれば人魂が出てくるのだろうが、まだ宵の口で人魂でなく人が立っています。
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