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前田雀郎句集『榴花洞日録』全句鑑賞(その二) [前田雀郎]

前田雀郎句集『榴花洞日録』全句鑑賞(その二)

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二月

二一 二月かなそのかみつらき人想ふ

【鑑賞】季語=「二月」(春)。ここから二月の句のような順序である。季語的には二月の初めの立春から春の部となる。万太郎の句に「われとわがつぶやきさむき二月かな」(『久保田万太郎全句集』)。句意=其の上(過ぎ去ったその時)実に辛かった人のことをしみじみと想う。あの時のこと。あの時、そう二月のことであった。

二二 如月の風吹き起るまのあたり

【鑑賞】季語=「如月」(春)。如月は陰暦二月の異称。「ま(目)のあた(当た)り」という下五に雀郎の感性を見る。万太郎の句に「きさらぎやふりつむ雪をまのたり」(『久保田万太郎全句集』)。句意=立春の如月の風を今眼前にしている。

二三 銀屏風二月は古き家の中

【鑑賞】季語=二月(春)。句意はと問われても、この十七字のとおりと…、しかし、この十七字で見事に二月の風情を捉えている。万太郎の句に「粉ぐすりのうぐひすいろの二月かな」(『久保田万太郎全句集』)。句意=古い旧家の古い銀屏風、時は二月、二月の風情だ。

二四 立春の俄に暮れし壁の色

【鑑賞】季語=立春(春)。「俄に暮れし壁の色」という中七・下五の把握に雀郎の眼力がある。万太郎の句に「立春の日かげあまねき障子かな」(『久保田万太郎全句集』)。句意=立春といっても、昼のうちはそれらしき感じであったが、もうすっかり冬の暮色の影が壁に宿っている。

二五 庭先に藁少し散るあたゝかさ

【鑑賞】季語=「あたゝかさ」(春)。「旧正月」という前書きがある。つい最近まで雀郎の生まれた宇都宮市の郊外では陰暦の二月に正月の行事をしていた。ここに日本の原風景を見る。芭蕉の句に「春立つや新年ふるき米五升」(子規『分類俳句全集』)。句意=旧正月、庭先に藁が少しばかり散らしてある。そこに春をつげる暖かい日差しがさしている。

二六 早春の影あるものに更けてゐる

【鑑賞】季語=「早春」(春)。雀郎も万太郎も「影あっての形」とよく「影」を凝視していた。万太郎の句に「春浅き日ざしかげりし畳かな」(『久保田万太郎全句集』)。句意=早春のいろいろのものの影、その影に季節の深まりを感じとる。

二七 何となく柳眼につく寒の明け

【鑑賞】季語=「寒の明け」(春)。久保田万太郎はこの句集の「序」で「この句があれば大丈夫」とこの句を「序」の締めくくりに持ってきている。万太郎はこの柳に雀郎の「川柳」の新芽を見て取ったのかも知れない。暁台の句に「ほつかりと黄ばみ出でたり柳の芽」(山本『最新俳句歳時記』)。句意=何となく柳の新芽に目が行く。もう寒の明けなのだ。

二八 梅咲いて障子楽しむ陽のうつり

【鑑賞】季語=「梅」(春)。この句も、「影」が主題の句であろう。また、梅と障子の取り合わせの句というのは多い。巴人の句に「里かれて障子に達磨んめの花」(『夜半亭発句帖』)。句意=梅が咲いてその影が障子に映る。その影で春の陽の移り変わりが察知できる。

二九 暖かや膝分けあふてあにおとゝ

【鑑賞】季語=「暖か」(春)。「膝分けあふてあにおとゝ」というリズムが何とも心地良い。雀郎が「兄と弟」の句であるならば、万太郎の翁の句に「あたゝかにことさら翁と命(つ)けしかな」(『久保田万太郎全句集』)。句意=春の暖かさの中で、兄と弟とが膝を分けあって、何と仲の良いことか。

三〇 日向ぼこ子の丈(せ)になれば見えるもの

【鑑賞】季語=「日向ぼこ」(春)。「子の丈(せ)になれば見えるもの」、この雀郎の邪気のない子供のような目線、そこから雀郎の句は生まれる。万太郎の句は雀郎と違って大人の目線の句に「日向ぼこ日向がいやになりにけり」。句意=日向ぼこ、そうだ、子供の背格好で、子供の目線で見ると、見えないものが見えてくる。

三一 思ひ出に寒い景色はなかりけり

【鑑賞】季語=「寒い」(冬)。雀郎の句は温かい。それに比すると万太郎の句は寒い。万太郎の「寒さ」の句に「まのあたりみちくる汐の寒さかな」(『久保田万太郎全句集』)。句意=思い出はみな温かく、寒い景色さえ温かく見える。

三二 鉄瓶(てつびん)の湯気も陽(ひ)を持つあたゝかさ

【鑑賞】季語=「あたたか」(春)。「鉄瓶の湯気」なども懐かしいものの一つとなってしまった。万太郎の句に「あたゝかきドアの出入となりにけり」(『久保田万太郎全句集』)。句意=鉄瓶の湯気にも春の日差しの温かさが感じ取れる。

三三 家にゐれば夕べ楽しき音がする

【鑑賞】雑。「家にゐ(い)れば」の字余りの「ば」に雀郎の感慨がる。「夕べ楽しき音がする」というのは台所の夕餉の支度の音であろう。万太郎にはこの雀郎のような一家団欒の句というのは少ない。万太郎の句に「夏の夜わが家の灯影おもふかな」(『久保田万太郎全句集』)。句意=久しぶりに夕方の頃家で過ごしていると、台所の方で一家団欒の用意の音などが聞こえてくる。

三四 春寒むの寄席の火鉢にいぶるもの

【鑑賞】季語=「春寒む」(春)。「寄席の火鉢にいぶるもの」も過ぎ去った風物詩の一つとなってまった。万太郎の句に「春寒きものゝ一つに土瓶敷」(『久保田万太郎全句集』)。土瓶敷も風物詩になってしまった。句意=春はまだ寒い。寄席の火鉢で何かいぶっている。

三五 その声を思ひ出してる腹痛み

【鑑賞】雑。「その声を思ひ出してる」と「腹痛み」との取り合わせの句。万太郎の句に「病みぬれば瞳涼しく曇りけり」(『久保田万太郎全句集』)。句意=腹が痛む。こんな時にどうしたことか、その声が耳元でささやいている。

三六 春の雪足駄残して消えにけり

【鑑賞】季語=「春の雪」(春)。「足駄」は高い二枚歯のついた下駄のこと。この足駄ももう見かけなくなってしまった。万太郎の句に「春の雪芝生を白くしたりけり」(『久保田万太郎全句集』)。句意=春の雪はすっかり消えて、足駄一つ残っている。

三七 義理ばかり続き二月も半(なか)ばすぎ

【鑑賞】季語=「二月」(春)。「義理ばかり」というのは葬儀などのつきあいなどを指しているのだろう。万太郎の句に「われとわがつぶやきさむき二月かな」(『久保田万太郎全句集』)。句意=葬儀など義理ばかり続いて、もう二月も半ば過ぎてしまった。

三八 鶯に二度寝楽しむ旅の朝

【鑑賞】季語=「鶯」(春)。雀郎にはこういう楽しい句もある。万太郎の句になると「鶯の声のかなしきまでしげき」(『久保田万太郎全句集』)。句意=旅の朝、鶯の声を聞きながら二度寝を楽しんでいる。

三九 春もやゝにがきもの置く舌の上

【鑑賞】季語=「春」(春)。雀郎は食通であったとか。そんな雰囲気が伝わってくる句。万太郎の句に「よせなべの火の強(つよ)すぐる二月かな」(『久保田万太郎全句集』)。句意=春もやや過ぎて、さきほど食べたフキノトウなどやや苦い味がまだ舌の上に残っている。

四〇 八間と片頬とのみ白かりき

【鑑賞】雑。この句には「新町吉田屋にて」という前書きがある。「八間(はちけん)」とは平たい大形の釣り行灯で、人の大勢集まる所で天井などに吊るして用いられた。万太郎の「八間」の句に「八けんの灯も衝立のかげも夕」(『久保田万太郎全句集』)。句意=大きな釣り行灯の八間とその八間の灯があたっている片頬だけが闇の中に白く浮き上がって見える。

四一 拍子木の夜よる遠く春になり

【鑑賞】季語=「春」(春)。「拍子木」は劇場の幕の開閉や夜回りの警戒のときに打ちならすもので、この後者の冬の火事などの警戒のための夜回りの拍子木の音を「寒柝(かんたく)」という。この寒柝の句であろう。静塔の寒柝の句に「夜晩の柝たゝきて真の無言行く」(山本『最新俳句歳時記』)。句意=夜の拍子木の音、その音もだんだん遠くなり、そして、冬から春へとの移り変わりを告げているようだ。

四二 春めくや廊下に残る畳の目

【鑑賞】季語=「春めく」(春)。「廊下に残る畳の目」とは「廊下に影となって映し出されている畳の編み目」のことであろう。万太郎の「春めく」の句に「冴ゆる灯に春めくおもひなからめや」(『久保田万太郎全句集』)。句意=すっかり春めいてきた。廊下の畳みの編み目の影がそれを物語っている。

四三 赤ん坊の足も汚れてあたゝかき

【鑑賞】季語=「あたゝか」(春)。暖かい日には赤ん坊も家中歩き廻るというところ。ハイハイではなく歩き初めの頃の赤ん坊のその足を雀郎は句にしている。『誹風武玉川』の句に「赤子を抱(だけ)ばかゆい手のひら」(一二篇)。句意=赤ん坊もよちよち歩きで、温かい春の日には、その足の裏を汚しているよ。

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